第1317回 自力と他力

平成30年 4月26日〜

 ご法座で、いつも一番前の席に座って、お聴聞されている方から、
こんな話を聞かせていただきました。


 お聴聞を初めて聞いた時、特に気になったのは 自力と他力のお話でした。
自力の否定、お念仏は他力だということが、なかなか納得いきませんでした。

子どもの頃から他人に頼らず、自分で努力することが重要であると教え込まれて
育てられてきましたから、自分の力、頑張りを否定されると、何とも言えない違和感が
ありました。これまでの人生を否定されているようで、反発の気持ちが
あったように思います。

 日常生活の自分の行為、行動のことではないと、頭では理解できても
自力ではないと、言われると、どことなく、つらい苦しい思いが起こってきたものでした。
お浄土に生まれること、往生出来るのは、私自身の力では無理だとのお話なのですが、
努力すること頑張ること、それが無駄で無意味なことと
 聞こえてきて悩んだものです。


 今では、お念仏に出会うことも、口にするのも私自身だけの努力ではなかったのだと
うなずけるようになりましたが、最初は努力すること、頑張ることのすべてを
無意味だと言われているようで、戸惑ったものです。
ご縁のないときには、老病死であっても私の力で大きく変わるもの、自分で
努力することが大事だと思い込んでいましたから。

なまけずに目標を持って、誰よりも努力して、成果を勝ち取るのがすばらしい人生だと
強い思いがあったものです。

 やっと、生まれてきたことも、こうして元気でお聴聞できるのも、おいしく
食事がいただけるのも、私の力だけではないこと、理解できましたが、
何十年にもわたって、学校でも職場でも自分で努力し、頑張ったことを
評価され、認められて生きてきましたので、その体質が染みついていたのでしょう。

 今では、お浄土へ生まれさせていただくことだけではなく、すべての出来事が
この私の力だけではなく、大きなそして多くのはたらき、あらゆる力で生かされていると
味わえるようになってきました。
そして、南無阿弥陀仏も私の力で称えているのではなく、称えさせていただいて
いると、味わえるようになって、肩の力が抜けたというか、こころやすらかに
のびのびと、何が起ころうと慌てず騒がず、すべての出来ごとを素直に
ありがたく受け入れることが出来るようになってきたように思えています。

 無駄なことは一つもない、無意味なことは何もない。全部、おかげさまの
出来事、自分にとって都合の良いことも、都合の悪いことも、悲しいことも
辛いことも、すべてが、一番良い方向に向かって歩ませていただいているのだと
思えるようになりました。

あらゆる経験を積んで、お浄土へ生まれさせていただき、仏さまになれるのだから、
どんなことでも、一つとして無駄なことはないのだと。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のはたらきによって、こんなにも人生が
生きる意味が、大きく変わってくる教えだからこそ、かわいい子どもや孫たちに
お念仏にさえ遇えれば大丈夫、これさえ残せば大丈夫と伝えてくださったのだろうと、
味わえるようになりました。と

 よく本堂でお聴聞をされ、お念仏を口になさる方から、こんな話を 聞かせていただきました。

          


           私も一言(伝言板)