第1401回 信心あらんひと

 令和元年 12月5日~

 信心あらんひと むなしく生死に とどまることなし

「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
  功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」

これは『高僧和讃』のなかの「天親讃」、天親菩薩を
讃えられた和讃の一首です。
「あひぬれば」は、漢字で書けば「遇」という字に
なります。

親鸞聖人はこれを、「『遇』は まうあふといふ。

まうあふと申すは、本願力を信ずるなり」と解釈され
るように、本願力を信ずる身になれば、ということです。

続いて、その結果を「むなしくすぐるひとぞなき」と
述べられるように人生を虚しく過ごす人がいなくなると
示されます。

そして、阿弥陀さまの功徳の海水に私たちの煩悩の
濁った水が溶け込めば、海水と濁った水の区別が
なくなり一つ味になると譬えられます。

 篠崎九蔵という方がお念仏の教えを聴聞して
こられたなかで詠まれた詩があります。

「難有りを、下から読めば有り難い」。

苦難を何度も味わうことと有り難いと思えることは、
決して別々のものではない。
お念仏の教えに生かされる人にとって、苦難が苦難に
終始しないで、有り難いと受け止められる心が芽生え
ていくことを、この詩が教えてくれています。

 私たちは何度も思いどおりにならないことに出会い、

苦しい目に遭わなければならないとき、愚痴・不平を
言いながら寂しく人生を終えていくのではなく、
何事も「お陰さま」「有り難い」と受け止めていく心が
できあがったならば、これほど頼もしく充実したものは
ありません。

「むなしく生死にとどまることなし」とは、

そのような人生を指し示した言葉であるといえましょう。

  ブディストマガジン大乗 今月のことば、
    『月々のことば』より抜粋^本願寺出版社刊


          


           私も一言(伝言板)