第1550回 しあわせな人生  

 令和4年 10月13日~

ネットのご法話で、こんな話を聞きました。

いろいろと多くの人にお会いし、いろんな方の人生をみさせてもらいますが、
なかなか この人は しあわせな人生を送っておられるなあという方は
少ないものですよ。

 皆さん方は、自分が しあわせな人生を歩んでいると思えますか。
もういっぺん人生をやり直すことが出来るとしたら、何をしますか。
ちょっと違うことをしたいなあと思いますか。

 それは、今の自分の人生に満足していないと言うことです。
もういっぺん 人生やり直すことが出来るとしても、今とまったく
同じ人生を送りたいなあと、こころから思える人は
しあわせな人生を歩んでいる、送っている人であるといえましょう。

 そして、その しあわせの一番の根幹は 何かというと
お念仏に 出会えたかどうかということに つきる。
お念仏以外のものは みんな壊れていきます。
お念仏だけは ただいまからお浄土の世界まで
壊れることなく、このわたくしを教え導き 育てて
くださっている世界がある。

そういう世界に出会えたといえることが、私の人生が 
しあわせな人生であったということができるのではないか。

 恩徳讃にある 報謝ということは、如来さまが
成就してくだったお念仏を、そのままにいただいていくこと、
それ以外にないということ。

お念仏を そのままいただいていくこと、それ以外に報謝はない、
仏さまの教えを、お念仏をそのままにいただけたこと、
それこそが、私の人生は しあわせであったといえるのではないか・・
・・・と



 幸せな人というのは、 どういう人なのか。
次に また人間に生まれることができるなら、もう一度
今と同じような人生を送りたいと思える人でしょう。
それは お念仏に出会えた人。

お念仏出会え、そのままいただけた人は

どれひとつ、何一つとして無駄なことはなかった。
みんな意味のある ありがたいことであったと。
この人生が最高であったと思える人に、育てられていくのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の人は  私の人生は
有り難い人生だった と思える人 ではないかと味わえます。



          


           私も一言(伝言板)