第1411回 お念仏の人は

 令和2年 2月13日〜

 組の仏教婦人会の例会で、こんな挨拶を聞きました。

ようこその お参りでございます。
つい23日前から 急に寒くなりましたが、その中にようこそのお参りです。


 ところで、私が着ておりますユニホームは 布袍と申しますが、
僧侶の制服です。

この姿で 毎日毎日 家庭訪問をいたしております。
ご門徒もいろいろ方が いらっしゃりまして みなさんのように、
本堂に座ってお聴聞できる方と 自分は何でも知っている分かっている、
いまさら聞くことはないと、お墓参りだけで、本堂に座ることが
出来ない方とがおられます。

そうして、本堂で お顔を拝見出来ない方々のお宅を訪問して
お話ししておりますと、いらいら、くよくよ、めそめそ、どうも
辛そうな方が多いように思います。


それに比べて みなさんのように、本堂に座ってお話を聞かれる方は、
堂々として笑顔がみられ、生きがいある人生を送っておられる方が
多いように思います。


  何故なのか、どうしてなのか、
本堂でのお話は 仏さまがこの私に向かっていつも、はたらきかけ、
呼びかけておられるということを繰り返し繰り返し聞くと、自分の
周りには、自分のために多くの方々が はたらきかけていただいている、
ご苦労いただいている自分の努力よりも、周りの はたらきかけが
大きいことに 気づく力が育っていく、そうすると、ありがたい、
よかった私は幸せとの思いをもたれる方があるようです。


人間は、自分がしてやったことは、よく記憶しているものです。
ですから、本堂に座らない人は、私ひとり頑張っているのに誰も
分かってくれない、あんなに努力したのに、分かってくれない、
悔しいと、嘆かれている人がおられるようです。


もし、ご主人や、お子さん、お孫さんが、仏教のお話を繰り返し
お聞になると、お母さんに お祖母ちゃんに 有難うと感謝の
気持ちを持つことが出来る人に変わっていかれるかもしれません。


  もう一つ 若い時には気づきませんでしたが、年を重ねると
残りが少なく
ないり土俵際に、押し込まれた感じになるものです。

ちょうど、1231日のような、もう残りがない、おしせまった感じです。
死んだら終わりという世間の価値観では、辛く悲しく寂しくなる
ものですが、お浄土があると頷づけると、未来が開けて、明るく
なるものです。


思い出すと、小学校の時には、小学校がすべてでしたが、卒業すると、
中学校がありました。
中学校の時は、中学校だけがすべてでしたが、次がありました。
サラリーマンの方で、定年後どうしようかと、悩んで居る方が
ありますが定年後もありました。

1231日も 一晩ねると 新しい年でした。

この世だけではなく、お念仏の人には 浄土があると思えれば、
未来が 希望がわいてくる。

しかもお浄土で活躍できる、待たれていると思えると 
受け取り方が変わってきます。


先の大相撲、優勝力士が、もう33歳ではなく、まだ33歳と思って・・・・
お浄土があると思える人にとっては、もう80歳、90歳ではなく、
まだ
8090歳 まだ100歳、これから、これからと、変わって
くるものです。

同じ人生ならば、喜びながら、生きがいを持って、お念仏とともに
堂々と生き抜き、またお浄土でも活躍したいものです。 ・・・・ 

という挨拶でした。

          


           私も一言(伝言板)