第875回 知恩 感恩 報恩  〜受けた恩を忘れず〜

平成21年 10月29日〜

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インタネットのページで こんな文章に出あいました。

東本願寺の「私たちの ぶっきょう」 (NO48) に

「恩に着せる」「恩に着る」「恩を仇で返す」「恩を売る」など、世の中には
「恩」を使う言葉がたくさんありますが、使われ方によって、いい意味だったり
悪い意味だったりします。

仏教では 恩を非常に大切にしており、古来より、人は恩を知り(知恩)、
心より感じ(感恩)、それに報いなければいけない(報恩)と説かれています。

恩という字は「因」に 「心」と書きます。

恩を知ることや、恩を感じることは、私たちの「心に因る」のです。
ですから、もし私たちが誰かに親切にされた時、素直な心を持っていれば、
その恩に感謝して自然とそれに伴った行動がわき起こってくるものなのです。

しかし、私たちはついつい疑いの心を持ち、その好意の裏には何か

思惑があるのではないかと勘ぐってしまうことがあります。

江戸時代中期の中根東里という学者が著した書物『東里新談』に
こんな言葉があります。「施して報を願わず、受けて恩を忘れず」
(人にモノを送ってお礼を期待するな、人からモノをもらったらすぐに
お礼をしなさい)

この、施して報を願うとは、自らの行為を誇り、それによって慢心することと言え、
まさに「恩に着せる」事ではないでしょうか。

また、受けて恩を忘れずとは、人からもらった恩を、恩と感じて、
それに報いようとする行いであり、報恩感謝と言えます。


仏事においても同じ事です。仏様から受けているご恩を、素直に感じて、
それに報いようとする事が大切なのです。

しかし、誰しもはじめは煩悩による疑いの心があるものです。
ましてや仏様のご恩は目に見えないもので、科学万能の現代に育った
私たちにはなかなか受け取りづらいものですが、それでも仏様がくださる
ご恩の深さを知り、心より感じることが出来れば、感謝するお念仏が
自然と沸き起こってくるのです。


さまざまな人の思惑が交差する世の中においても、私たちが
素直な心でいれば、いろいろな人からたくさんの恩を受けている事に
気づき、感謝の日々を送っていけるのではないでしょうか。


という文章です。

南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏のことばは 感恩 知恩 報恩の気持ちを 
表す ことばではないでしょうか。


妙念寺電話サービス 次回は 11月5日に新しい内容に変わります。


         


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