第1434回 初事とは

 
令和2年 7月23日〜

 浄土真宗の聴聞の心得 には
一、このたびのこのご縁は、初事と思うべし
一、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし
一、このたびのこのご縁は、今生最後と思うべし
                   とあります。

よくお聴聞される方は この言葉を、何度も
お聞きになったことでしょうし、

皆でいっしょに声をそろえて、お読みになって
いることと思います。


この最初の「初事」いう言葉は
素直に読むと 同じ話の繰り返しで
あっても 始めてのように繰り返し
聞きましょうという意味だったと
思われますが、現代はそれに加えて、
大きく違った意味が含まれている
のだと感じます。


 私をはじめ、皆さんは、戦後の新しい
教育を受けられたました。

知らず知らずに 科学的な頭になる
学校教育を受けてきました。

実証主義とでもいいましょうか、
証明できるものだけが信じられ、

証明できないもの、見えないものは
存在しないという 考えです。


ですから、目に見えない親の恩とか、
師の恩などは、教わりもしませんでした。

日本が戦争を起こしたのは 忠孝の
教育がいけなかったからだと。


  また、二元論的な、損か得か、
勝つか負けるか、敵か味方か、
テストも〇か×か、プラスかマイナスか、
中間のない右か左か、二つの考え方が多く、

教える側と 教えを受ける側、
助ける側 救われる側、

神様と 私、どうも キリスト教的な
考え方の教育でもあったようです。


そして、社会に出ては、新聞も読み、
テレビも見、講演会にも参加して、
自分は 知らないことはほとんど無いと

思っておいででしょう。
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特に男性の方は、社会的に責任のある
立場であったでしょうし、仕事上、
社会の常識は一通り持っており、 
この世のことは何でも分かっている、
自分が知らないことはほとんど無いと。

仏教のことも、だいたい分かっている、
いまさら聞くまでもないことと、
お感じの方がほとんどだろうと思います。


しかし、仏教といっても、浄土真宗は 
この日本人の持っている常識を
はるかに超えている教えです。


私たちの持っている常識の仏教とは、
大きく違っています。

新聞やテレビ、世間でいう仏教とは 
まるで違った教えがあり
自分は
この新しい教えを、まったく
知らないのだという気持ちで、

素直に聞いて欲しいということです。

初ごと 知らない話。
初ごととは 知らない価値観を、
聞くという意味です。
自分の常識ではなく常識を越えた、
新しいことを聞くという
お気持ちでということを
意味していようです。

      
              

          


           私も一言(伝言板)