第1467回 小さな針箱

 令和3年 3月11日~

 七回忌の席で、こんな話を聞きました。

晩年、母親を介護施設のグループホームに預け、
毎週一回は、面会に行っていましたが、
なかなか話題がなく、「楽しかったことは何に」
と聞くと、母親が話をしたのは

自分の就職が決まって、東京に旅立つとき、
母親が針と糸の入った小さな裁縫箱を
持たせてくれたのだそうです。

そのとき、「ありがとう」と、息子の自分が、
素直にポケットに入れて持っていってくれた
ことが、とてもうれしかったと、


茶色の小箱をもらったような記憶はあるものの、
その後どうしたのか思い出せませんが、
百歳を過ぎた母親は、50年も前のことを、
うれしそうに何度も何度も繰り返して話すので、
少々ショックを感じたことを思い出すと。


 自分は素直ないい子どもだったと思っていたが、
ことによると、いろいろと反抗していたのかも
しれない。子どもを思う気持ちから、
さまざまなものを準備してくれたのであろうが、
素直には、受け取っていなかったのかもしれない。


「そんなものは 買えばあるから いらない」
とか、「大丈夫、荷物になるからいい」等々と、
親の想いに、気づかずに拒絶してばかりいたの
かもしれないと。


たまたま、小さな携帯の裁縫箱を受け取って、
ポケットに入れて旅立った、その息子のことを、
昨日のことのように、思い出しては、何度も
繰り返して
うれしかったと話すのを見ると、
実は、素直でない反抗的な子どもだった
のかもしれないと反省している。


 近頃、その話しを思いだして感じるのは、
苦労して学校を卒業させ、いよいよ就職で
故郷を離れる、それを自分の力だけで
卒業したように振る舞っていた息子が、
針箱を受け取ったときに、「ありがとう」
と言ったその一言が、とても、
うれしかったのではないのか。


息子の「ありがとう」の一言で、
長年の苦労が報いられた思いが、母親には
あったのかもしれないと。
初老の息子さんは、そうつぶやかれました。


 阿弥陀さまも、この私のことを心配して、
働きづめであったのでしょうが、

ほとんどきづかないでいます。

多くの働きかけがありながら、
そのほとんどを気づかずにいます。

そのはたらきかけの、ほんの一つでも気づき、
私が一言「南无阿弥陀仏」と口にしたとき、
阿弥陀さまは、そして今はお浄土の母親も
一緒になって きっと喜んでくれて
いるのでしょうね。とも話されました


          


           私も一言(伝言板)