第1476回 いつも見守る親  ~遠く離れても~

令和3年 5月13日~

 5月の第二日曜日、母に感謝の気持ちを表す
母の日でした。


私どものお寺は、400年程前、父親を4歳で亡くし、
母親が再婚、結婚の時、母親に付き添った
大伯母に育てられ、やがて、鍋島藩の
二代藩主となった光茂公が、育ての親に
感謝をして建てさせた寺であるとの「聞書葉隠」
には書かれています。

  そのためではないのでしょうが、母親が
離婚して去り、父方の祖父母に育てられ、
母親を知らないで育った方々とこの30年に
何人も出会いました。

生きている間は、会うことが出来ず、お葬式に
はじめて再会される方も多くあります。

 現代と違って女性のはたらく職場が少なく、
経済力がとぼしかったことあり、子どもは
父方に残して別れ、やがて母親は再婚し、
新しい家族への遠慮から母と子の対面が
難しいことが多かったようです。

 別れた子どもを思って、人形をいつも抱いて
おられた方もありました。

また、成長した子どもさんが、婦人服の店を
開いているのを知って、そのお得意さんとなって、
見守っておられた方、
あるいは高齢で入院され、実子が訪ねてきても、
介護の迷惑をかけたくなったのか、断固として

拒否され親子の名乗りをされなかった方もあります。

また、双方の親たちが亡くなった後、はじめて
兄と妹が出会い、晩年は、兄妹、一緒に生活された
ケースもありました。


一旦別れた家族、親と子は、その後、なかなか
会うことは、厳しいのが去った母と、残された子
との関係であると感じています。

生きている間は、なかなか歩みよれず、お葬式のあと、
名乗り出ることが多いのも現実です。


  阿弥陀さまは すべてのものを一人子のように、
救わねばおかないとはたらきかけ続けておられます。
ところが、私たち人間は、実の親、育ての親

再婚後の親、なかなか、区別して、素直にはなれず
難しいものです。


 考えてみると、阿弥陀さまは、私の産みの親、
実の親ではありません。

それでも、この私のことを、ずっと見守り
はたらきかけておられるのです。

これは身内、これは他人と、分別せず、私のために
はたらきかけとくださる多くの方々に感謝しながら、
南無阿弥陀仏を口に 生きていく私の周りの人は皆、
私のためにご苦労いただく方々、縁もゆかりも

ないものの、阿弥陀さまと同じように、私のことを
心配し、見守りつづけていただいている、
有り難い方だと、味わいながら、喜びのうちに

生きていきたいものです。

          


           私も一言(伝言板)