第1472回 見守られている私 ~喜びの姿を~

 令和 3年 4月15日~

 コロナの影響で 卒業式や入学式など、
人数制限し父兄が参加出来ないなど、

多くの人が集まることが難しい状態が
続いています。


子どもや孫の晴れ姿をみたいと思うものの、
それが出来ずに残念との声も聞かれます。


 幼稚園や保育園の運動会やお遊戯の会
などに、爺ババが応援に来て見守る中、
孫が皆と一緒になって、活発に行動して
くれればいいものを、独りだけそっぽを
向いたり、座り込んだり、泣き出したり
していると、悲しく辛いものです。


 思い起こすと、この私も子どものころが
あり、大人達から見守られ助けられ、
成長して現在があるのです。


 私が 自分の子どもや孫を見守り、
応援するように、先だった祖父母や
その前の先祖も、幼稚園の運動会で
応援してくれるようにこの私のことを 
可愛い孫、曾孫として 見守ってくれて
いるのだろうと味わいます。
ご和讚に

安楽浄土に いたるひと 
  五濁悪世に かへりては 

  釈迦牟尼仏の ごとくにて 
  利益衆生は きはもなし


 子どもや孫が、生きがいをもって
頑張っている姿を見ること、お念仏の
生活を見せることこそ、最も喜んで
もらえることだろうと思います。


 阿弥陀さまという仏さまの願いは、
独りも残すことなく、お浄土へ生まれさせ

仏となして、今度は 人々を救う
はたらきをさせたいということ。

ですから、自分の利益や自分の楽しみの
ために、私利私欲で生きている孫や
曾孫ではなく、仏の願いにかなった 
南無阿弥陀仏を口にして生きている姿を
みることだろうと、思います。


 仏になった祖先たちが一番喜び、
阿弥陀さまが願っておられるのは、
うずくまり、泣き、悲しみ苦しみに沈み、
迷って地獄へ向かう姿ではなく、

お浄土へ向かって堂々と歩いていく、
生きている姿を見ることだろうと味わいます。


南無阿弥陀仏の生活を 喜びをもって
生き抜きたいものです。


          


           私も一言(伝言板)