第1324回 面白い 楽しい

平成30年 6月14日~

悪質なタックルで、監督やコーチなど指導者の問題が指摘されていますが、
今回被害を受けた関西学院大学アメフト部の指導者が、記者会見でこんなことを
言っています。

「コーチを20数年やって気づいたことは、闘志は勝つことへの意欲だと

 思いますし、それは外から言われて大きくなるものではないと思っています。
 自分たちの心の中から内発的に出てくるものが一番大事ですし、それが選手
 の成長を促すものです。
 その一番根源にあるのは、『フットボールが面白い、楽しい』と
 思える気持ちです 」       

「我々がコーチとして一番大事なのは、選手の中に芽生える楽しいという
 気持ち、これは『ロウソクの火』みたいなもので、吹きすぎると消えて
 しまいますし、大事に、少しずつ大きくしないといけない。
 そっと火を大きくするような言葉も大事でしょう。内発的に出てくるものを
 どう育てるかが、コーチにとって一番難しい仕事だという風に思っています」


この会見を見ていたインターネットユーザーから大きな反響があった
といいます。選手が強制されてではなく、自ら進んで取り組む心を
大事にしたいという言葉に、共感を呼んだようです。          

また、この指導者は、以前に、こんな文章を書いています。
「『やらされている』ような状態では、成長はおぼつかない。
 しかし、人間はなかなか努力が長続きしないものである。
 ましてや、米国のようにスポーツ奨学金がもらえるわけでもなく、
 プロへの可能性もない日本の大学フットボールにおいて、選手の
 高いモチベーションが維持される基礎条件は大きくない。
 では、そうした受身の姿勢に陥らず、自分から夢中になって
 厳しい課題にも取り組むことができるようになるためには、
 どうしたらいいか。いろいろな答えがあると思うが、
 そのうちの一つは、やはりフットボール自体を『面白くて仕方がない』
 と感じられるようになることだ。好き、になることこそが近道だと思う」


南無阿弥陀仏の教えも 人間に生まれてきたことのよろこび、生きることのよろこび、
そして、仏となって活躍出来るという、この世だけではなく、

お浄土という未来を見つめた人生がることを聞き取り、描き味わうことが
できるかどうかだろうと、思います。

人間に生まれたことが、当たり前と思って、何の感動もなかったものが、
教えに出会うことで、今の自分に出来ることは何か、何がやれるのか
そしてそれがよろこびに変わっていく、それには、仏様の願いを、繰り返し
聴聞することで、はじめて気づくことです。

南無阿弥陀仏は、この人生は面白く楽しく、夢中になって生きていく力を
与えてくださる大きなはたらきが、人間として、生きることの喜びに
気づかせていただく力があるのではないかと、味わいます。

どうか、お聴聞して、仏さまの話を、仏さまの願いを聞いて、すばらしい

よろこび多い人生を受け取りたいものです。


          


           私も一言(伝言板)