第1503回 温泉とお念仏  ~ 身と心を喜ばす~

令和3年 11月18日 ~

 ご法話を聞くことを お聴聞といいます。
昔 お聴聞は私のためと喜んでお参りしてくださる方が
たくさんおられました。
ご法話、 お説教と聞くと、一般的に「 難しい、かたい、 人ごと」
というイメージをお持ちの方が多いようです。

確かにご法話は 仏さまのお話でありますから 人間の私たちが
一回聞いただけでは なかなか理解するのは難しいことかもしれません。

 皆さん温泉に行かれることがあるかと思います。
温泉に入りますと大抵 その温泉の泉質、効能が書かれた看板などが
あると思います。

そういうものがあれば、一応目を通されるのではないでしょうか?
しかし、温泉からあがると、そんなこといちいち覚えているでしょうか?
温泉の効能というものは 一回入っただけではなかなか現れません。

 昔病気の人が温泉に1ヶ月2ヶ月滞在され何度も何度も温泉に入ることで
病気を治されていた湯治というものがありました。
お聴聞するということは、温泉に入る感じで、リラックスして何度も何度も
繰り返してもらえば仏さまの効能とはいいませんが、仏さまの
願いというものがだんだんとわかっていただけるかと思います。・・・


 という若いご住職がお書きになった文章に出会いました。(定良芳信師)

 昔お教えいただいた深川倫雄和上 山口の俵山温泉の湯治客に
ご法話をされていたと聞きますし。

島根の温泉津の浅原才市さん、有福温泉の善太郎さんなどなど、
温泉とお念仏は 深い関係がありそうです。

親鸞聖人は 
「信心」 とは、 如来の本願を聞いて疑う心がないことである。
「歓喜」 というのは、 「歓」 は 身によろこびがあふれることであり、
「喜」 は心によろこびがあふれることである。
すなわち、 得なければならない浄土往生を、 必ず得るであろうと、
あらかじめ往生に先立ってよろこぶという意味である。
 (一念多念証文 現代語訳)と お書きいただいています。

 温泉にゆっくりとつかり 温かく身を喜ばす 深い大きな喜びを知り、
お聴聞を繰り返し 仏さまの願いを聞くことで 体だけではなく、
心から喜び、味わうことが出来るようになる。
それには、温泉で芯から身を喜ばすことを重ねることで 
本当の喜びを、喜びの有り難さを強く感じる力が育ってくるのでしょう。

 元気で 温泉に行ける時だけではなく、歳を重ね、病気になって
動けなくなっても、温泉につかっていた時のように、心の底から温かく
喜べる 体だけではなく、精神的に喜べる、そういう教えを
いただけ、一生涯 いのち終わるまで味わうことができるのが
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の お念仏の教えです。

          


           私も一言(伝言板)