第1453回 私の歩む道

 令和 2年 12月 3日〜

 浄土真宗の日常勤行集の最初には、
浄土真宗の教章が書かれています。


その下に「私の歩む道」とあり、
宗名や宗祖、本山や、本尊、聖典に
続いて、「教義」が書かれております。

ご存じのように、 
 阿弥陀如来の本願力によって
 信心をめぐまれ、

 念仏を申す人生を歩み、
 この世の縁が尽きるとき

 浄土に生まれて仏となり、
 迷いの世に還って

 人々を教化する。

とあります。

 ところが、これは、2008年に
 新しくなったもので、
 それまでは、親鸞聖人の
御誕生800年・立教開宗750年が
あった
1967(昭和42)年4月に
制定された 教章でした。


そして、そこには、教章の下には
「私の宗教」とありました。


その古い教義を 思いだして
いただくと、


 南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、
 必ず仏にならせていただく

 身のしあわせを喜び、
 つねに報恩の思いから、

 世のため人のために生きる。

   とあります。

どうも、この世をどう生きるかが
中心で、お浄土で仏になったあと

どうゆう、はたらきをするのかが、
残念ながら、はっきりとは

書かれていませでした。

 そのはたらきを、新しい教章では、
はっきりと書かれているのです。

それは、どういう理由からか、
親鸞聖人がまとめていただいた

「教行信証」の教巻に、そのことが、
はっきり書いておられるからです。


【1】  つつしんで、 浄土真宗
  すなわち浄土真実の法をうかがうと、
  如来より二種の相が回向されるのである。  
  一つには、 わたしたちが浄土に

   往生し成仏するという往相が回向
  されるのであり、 二つには、

   さらに迷いの世界に還って衆生を
  救うという還相が回向されるのである。

   往相の回向の中に、 真実の教と
  行と信と証とがある。


【2】  その真実の教を顕せば、無量寿経である。
  この経の大意は、 阿弥陀仏はすぐれた
  誓いをおこされて、 広くすべての
  人々のために法門の蔵を開き、
  愚かな凡夫を哀れんで功徳の宝を
  選び施され、 釈尊はこの世に
  お出ましになり、 仏の教えを説いて、
   人々を救い、まことの利益を
  恵みたいとお思いになったと
  いうものである。

   そこで、 阿弥陀仏の本願を説く
  ことをこの経のかなめとし、

   仏の名号をこの経の本質と
  するのである。・・・


    とあります。

「私の宗教」から、「私の歩む道」と
 変わりましたが、浄土真宗は、
 この世をどう上手に生きるか
 だけではなく、仏に成って、
 すべての人のためにはたらく、
 今は、仏の仲間としてどう生きて
 行くのかを求められているのでは
 ないでしょうか。


     


           私も一言(伝言板)