第1455回 信心は 如来の心
令和 2年 12月17日〜
親鸞聖人は『末灯抄』の中に、
「この真実の信心のおこることは、
釈迦・弥陀の二尊の御はからひより
おこりたりとしらせたまふべし」と
書いておられます。
人間の言っていることではなくて、
仏さまがおっしゃっていることの
真実を信じる。
そういう信心は自分の力で
起こるのではなくて、お釈迦さまと
阿弥陀さまのお二人の御はからいに
よって起こったと言われています。
いつのまにか仏さまが私をつかまえて
くださっていたのだということです。
人間の言葉を信じようと思っている
人生というのは、
生きたらよいのだと思って生きている
人生です。
人間は自分の考えをはっきり持って、
判断をしっかりしないとだめだ。
そう自分勝手に武装して思い定めて
いた心が、阿弥陀さまとお釈迦さまの
おはからいによって、いつのまにか
溶かされて、如来さまのおっしゃって
いることが本当だと思うようになった
ということは、私が偉いからでも
なければ、私の努力によるのでも
ないのです。
それはひとえに仏さまの力なのです。
浄土真宗の信心は仏さまの力で
起こるので、自分の力では決して
起こらないのです。
だから信心が起こったら、ただ
有難いことだと如来さまにお礼を
申し上げる以外にないのです。
微塵も自分の力というものはない。
だからその信心には間違いが
ないのです。金剛の信心と
言いまして、
その信心は崩れることがありません。
自分の心が堅いがらではなくて、
如来さまの心だから崩れることが
ないのです。
そういう信心によって生きていく
ということが浄土真宗です。
信心が一番の大事と言われるのは
そういうことなのです。
信心というものは自分の力で
作れないということをはっきりして
おかねばなりません。
如来さまにお遇いすることが
あったら信心が自然に起こって
くるのです。
しかし、お遇いしたいと思って
いるのになかなか遇えないと
いうのは、
していないのでしょう。
如来さまの方は絶えず私に信号を
送っていらっしゃるのです。
如来さまの発信器が宇宙の彼方から
私に絶えず発信しておられる。
どういう発信かと言いますと、
「お前を必ず救う」という発信を
していらっしゃるのです。
「お前を捨てることはない、
お前を必ず仏にする」と言って
いらっしゃるのです。
その如来さまの発信は十劫の昔から
絶えまなくつづいているのであって、
昨日や今日のことではありません。
私の生まれる前から「お前を救う」
という発信が起こっているのです。
如来さまの発信は私が生まれてから
あわてて始まったのではありません。
私の生まれる前から如来さまは
いらっしゃるのです。
お浄土も私が生まれる前から、
ちゃんとできあがっているのです。
そういう永遠のいのちの世界の中に
私の人生はあるのです。
大峯顕著 宗教への招待
本願寺出版社
私も一言(伝言板)