第1548回 驚いたこと  ~意外と多い武士門徒~

 令和 4年9月29日~

 突然 自分の先祖のことを調べてほしいとの電話があります。
関東にお住まいで、東京のお寺に墓地があるが、自宅の過去帳に
郷里のお寺に埋葬した先祖の記録があるので、調べてほしいと。

 お寺の古い過去帳を持ち出して調べましたが、日にちは二日違うものの、
確かに記載がありました。
しかし、明治20年代に作成された墓地明細記には、その記録がなく、
明治維新後 東京へ移られたご家族のようですと、返事をしました。

 その墓地明細帳には、武士であったか、農業などの町人であったかが
記載されていることに気づきました。
浄土真宗はどちらかというと、庶民の宗教、武士の多くは
禅宗など聖道門が多いと思い込んでいましたが、意外や意外、
「士族」との記載が多くあり、驚きました。

お寺が、武士が住む城の近くであり、 藩主が建てさせた寺院のため
なのかもしれませんが、関心を持って、その台帳を詳しく調べてみました。


 290余りの墓地の記録があり、よく判明しないものを除き
275の墓地の内、武士だった方のお墓が106と、その四割近くあり、
埋葬された総数、701人中 318人が武士の家族で 
四割六分 半分近くであることに驚きました。

 エリザベス女王の国葬で、イギリス連邦の参加者が多いのを見て、
キリスト教を先頭に植民地化していった時代があったこと、
それなのに日本は どうして仏教国のままでいられたのか。

 その一つには、鎖国制度を取ったこともあるでしょうが、
外国との入り口、長崎の出島を守る仕事を、佐賀鍋島藩と、
福岡の黒田藩が担当し一年交替で、1000人以上の武士が、
長崎を警護してきたようです。

 何世代にもわたって、出島を通して、外国の情報 キリスト教と仏教の違い、
宗教と植民地政策など、多くの武士集団は、見聞してきたのだろうと、思います。
また直近の大きな戦いが、島原の乱への出兵、キリスト教との戦いでした。
そうした経験が、明治政府での宗教政策の主導的な立場をとったのが、
鍋島藩出身者だったとのお話を彼岸法要のご講師に聞かせていただきました。


 キリスト教の宣教師が出島から本国に送った手紙に、朝晩、庶民の家から
お勤めをする声が聞こえてくるとの報告があるといいます。
生活に根付いた宗教があったために、日本は仏教国として
生き残ったのでしょうが、はたして現代はいかがなものでしょうか。

          


           私も一言(伝言板)