第872回 ハタと 気づく  〜 この世に生まれた意味を 〜

 平成21年 10月 8日〜

妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございます。
 以前にも ご紹介しましたが、詩人の杉山平一さんの詩に

「 何のために この世に」 という詩があります。

   ものを取りに  部屋に入って 何を取りに来たのか 忘れて
    戻ることがある  戻る途中で ハタと思い出すことが あるが
    その時は すばらしい

   身体が先に  この世に 出てしまったのである
    その用事が 何であったか いつの日か 思い当たる時の
    ある人は  幸福である  思い出せぬまま 僕は
    すごすごあの世へ戻る


   年齢とともに 毎日のように 何のために ここに来たのか
  これから 何をしようとしていたのか。 忘れてしまうことが 再三です。

  ところで これも以前に紹介しましたが お医者さんである 宮崎幸枝先生は
 患者さんと 三つの よかったね を 話すといわれます。

一つは、人間に生まれてきてよかったね。
人間に生まれるのは、なかなか大変な  ことであると知らされると、人間でよかったね。

二つは、今まで長生きで、しかも、仏教に 会えてよかったねと。若い人は、自分は
長生きではないと思っていらっしゃるでしょうが、子供の時期に亡くなる人を見ている
お医者さんからみると、無事に大人になるだけでも、大変にありがたい 
ことだと知らされるといわれます。

そして、三つ目は、人生いろいろあるようですが、 よく考えてみると、二つの生き方しかない。
仏様の考えで生きるのか、それとも自分の考えで生きるのかの二つだけである。

言い換えると、真実に生きるのか、実態の無いものを頼りにして生きるかの二つであると。

病院で患者さんを見ていると、だれもが不安で 孤独で、周りに頑張れ頑張れと言われ、
何かをつかもうと努力している。


目標を求めようと無理をし,その目標をやっとの ことで見つけると、もう次の新しいものが
ほしいという, 空しい生活を繰り返しているようです。

これは,患者さんだけではなく、看護師さんも お医者さんも,患者の家族もみんな、
そのような人生に 見えると言います。

本当の幸せは,人間に生まれてきた意味は, 人間にとって本当に価値あるものが分からずに
空しい人生を送っているのではないかと。

こうしたとき 南無阿弥陀仏に出会うと、特に 選ばれた人だけではなく、
能力のある人もない人も、努力できる人も、努力できない人も、一人残らず
仏にしなければと言う阿弥陀如来の願いに、無限の命に出会うことで初めて、
人間に生まれてきた 意味が、人間の本当の喜びが味わえるのです。


そうだ この世に生れてきた意味は 何のためだったのかと 気づかされるのです。

部屋に戻って 何を取りに来たのか分からずいるように イライラもなく それに気づくと 
すっきりとするのでしょう。


南无阿弥陀仏を口に 南无阿弥陀仏を聞く時 何のために この世に生れてきたのか 
何をして 生きていけばいいのか
 何をすれば いいのかが はっきり
見えてくるのだろうと思います。


南无阿弥陀仏を 聞けば 南无阿弥陀仏を 称えれば
ハタと 気づく 思い当たることが あるのです。

妙念寺電話サービスお電話いただき有難うございました。

次回は 10月15日に新しい内容になります。


         


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