第1669回 マルテンを見ると

 令和 7年 1月 23日~

 年忌法要の後、おときの席で、こんな話を聞きました。

学校給食がまだ始まらない、みんな弁当を持って登校していた思い出です。

 冬になると、教室の教壇の前に大きな箱が置かれ、子供たちは
持参した弁当箱を 好きなところに入れていました。
炭火のすぐ上に置けば、お焦げが出来ることもあり、良い置き場を確保
しょうと、朝は競争になっていた。

  やがて教室いっぱいに、いろいろなお料理の匂いが漂ってくるし、
お昼休憩の鐘がなると、やけどしそうに熱くなったアルミ製の弁当箱を
取り出して、弁当の蓋にお茶をもらって、お昼を食べていた。


 弁当箱の中心には みんな、赤い梅干しが入っており、その酸のせいか
どの弁当箱も、中央部分は 色が変わっていたことを思い出す。
ご飯にはまだ麦が入っていた時代で、白いお米の部分だけを
すくいとって はずかしくないように 弁当に入れてくれていたのを
思い出すねと。

 うちは弁当のおかずは 毎回マルテンを甘く煮たものだった、
魚のすり身を天ぷらにしたマルテンだった。ゴボウも入っていた
ごぼう天だったように思う。
親父が戦死して、母親がひとり働いていたので、ことによると、
子供心に、マルテンが美味しかった、大好きだと、親を安心させるために、
自分が言ったのかもしれないなあ。
何しろ品物のない時代、そのマルテンを買うのも実は大変だったのだろうと
今は 有り難く思っていると。

 今でも、マルテンを見ると、子供の頃 そして母親の苦労を
思い出し、胸が熱くなってくるものだとも。
でも、こんなに大きくなった体も、マルテンのお陰だったのだろうなあと、
懐かしく、しみじみとお話されていました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の声を聞くと 懐かしい母親や
おばあちゃんのイメージ、あかぎれが出来た指の溝に黒い膏薬を
ねじ込んで、頑張っていたその姿を、懐かしく有り難く 
思い出すものだなあと、白が頭のお年寄りたちが、親の法事のおときで
昔を懐かしく語りあっておられました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

          


           私も一言(伝言板)