第1634回 お任せします 有り難うございます

 令和6年 5月23日~

 朝のおつとめの後、なにげなく外を見ると、
紙袋に、ちり取り、そしてゴミはさみを手にした近所のおばあさんが
道路のゴミを 拾っておられる姿が見えました。

 まだ、朝の出勤前で、人通りの少ない時間、捨てられたたばこや
紙くず、ペットボトルなどのゴミを、つまみ取り紙袋に入れながら、
歩いていかれます。
近頃、通りが綺麗になったと思っていましたが、こうして、
一人もくもくと掃除をしていただく方があったからだと、気づきました。

 この方は、お念仏とご縁のある方ではないようですが、

もしお念仏の人であったのなら、自分が今やれることがあれば、
それを精一杯やらせていただこう、これもご報謝、これもご報謝と、
報恩感謝の行動を進んで取られておられる方が多いものです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 の 南無は 帰命する、帰順すると
私の方が真剣に、仏さまに帰順する、私が努力することが必要と
理解するのが普通ですが、浄土真宗の場合は、そうではなく、
仏さまの方が先に、自分に任せなさい、貴方のことを必ず救う、
心配しないでいい、任せなさいと呼びかけていただいているのだと
味わいます。

 その呼びかけを聞いて、私の側は、仏さまの呼びかけに、
お任せします。有り難うございます。

南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と返事をするだけでいいのです。
私が、頑張ってしっかりと、つかまる必要はなく、どうかよろしく
お願いしますと、こころからお願いする必要もなく 仏さまの方が
先に私のことを心配して、必ず救う私に任せなさいと呼びかけ
続けていただいているというのです。

 私が称える南無阿弥陀仏は、ですから、お願いしますの意味ではなく
ハイお任せします、有り難うございますと、報恩のお念仏をする
だけなのです。

 一般的には、私が努力して、良いことを積み重ねて、
それを、仏さまに認めていただくことが出来たなら、そのご褒美に
良い結果、素晴らしい効果が得られると思いがちですが、
そうではなく、仏さまが先に私のことを心配して
私にまかせなさい、貴方のことを救いとりたいと
呼びかけ、はたらきかけていただいているというのです。

 赤ちゃんのとき、頼みもしないのに、母親がお乳をのませ
おむつを替えて、育てていただいたように、阿弥陀さまは
この私のことを、なんとか本物の人間に、そしてやがて
仏にして活躍してほしいと、はたらきかけ、呼びかけていただいて
いるというのです。

 ですから、その呼びかけを聞き取り、お任せします。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏とお念仏をして、自分が
今できることを精一杯つとめさせていただく、それが
お念仏の報恩の生活ということでしょう。

 仏さまが先か 私が先か、親が先か こどもが先か
お浄土に生まれることも、仏になることも、人間の力の及ぶことのない
ことなのです。

ですから、仏さまにお任せするしか、方法はないのです。
私が出来ることを、報恩の行いを、お念仏と一緒に
つとめさせていただくだけなのです。

          


           私も一言(伝言板)