第1363回 先哲のことば

 平成31年3月14日〜

 「季刊せいてん」に お念仏を喜ばれた先輩方のことばが
掲載されていました。
そのお一人の 甲斐和里子さん(京都女子学園創設者)の文章がありました。

『新修 草かご』(百華苑出版)の中に

  コリヤ阿弥陀、助けたいなら助けさせう
   罪はわたさぬ悦びの種

「これは讃岐の庄松とかいう妙好人の法悦です」と何十年以前かに、
亡弟瑞義(足利瑞義勧学・龍谷大学第五代学長)が、きかしてくれた時
「何とキバツな口つきで表現せられたことかな」と感嘆したことである。

其の後又やってきて

  われこそと立ち上ったる弥陀のけんまく

「これは何人かの言葉か知らぬが、有難うて、そして面白いですがなア」と
きかしてくれた。
私は泣き笑いをしつつ口ずさんだ。
同じく弟から聞かされた故か、右の両句を同時に口ずさんでは悦ばして
いただくのがクセであった。

ところがどういうわけか、三四年以来から勿体ない「コリャ」とは
何だか強いて奇言を弄する所謂ホコリ同行めいたいやみを感ずる、
というような感じがしだして、トンと口にせぬことになった。
が其の反対に「弥陀のけんまく」の方はいよいよ老いて、いよいよ
面白くありがたく、ともすれば口ずさんでお念仏している。

 浄円君(足利浄円師・和里子師の甥)は
「年がよるとヒガミ心が強くなる」というておられる。
私も年は充分よっていることゆえ、ヒガミ心ネタミ心が強うなったかげんで、
切角の妙好人の法悦に対しこんな感じを持ち出しだのかも知れん、
それなら恥ぢ入ったことである。瑞義が今猶世に在らば教えを
乞うのであるが、今春七回忌を勤めた。

  (「新修 草かご」、一四五〜一四六頁、百華苑)

          


           私も一言(伝言板)