第1614回 生かされている不思議

 令和6年 1月4日~

 こんな話を聞きました。
築地本願寺の朝の法話で ある布教使さんが
お話しいただきました。

あるお寺にうかがった時 有り難い尊い方とお会いしました。
それは、ご年配の方ではなく、20歳の青年でした。
ご法座が始まるまでの 短い時間でしたが、
その青年は 自分が生まれたときのことを話してくださいました。

 わずか八百グラムの未熟児として誕生したのだそうです。
そして、すぐに集中治療室に入れられ、無事成長出来るかどうかわからない
退院出来ても、何歳まで 生きておれるか分からないと、
両親には告げられたということです。

 その私が 20歳を迎えることができたのです。
これは みなさんのご苦労、多くのご縁のお陰です。ですから、
私は、みなさんへご恩をお返していくことが、勤めだと感じています。
こう青年は 話してくれたそうです。

 生きていることが当たり前で 感動もない人生をおくって
いますが、その青年の言葉に、今日まで両親をはじめ 
自分の知らない多くの人々のお陰で 今 生かされているということに、
改めて気づかせていただきました。

 そして、その青年は そのご恩返しをするのに 
自分が出来ることは何かというと、
お聴聞することだと思っていますと言わて
また驚ろかさせられたといいます。

 ご恩返しに何が出来るのか それはお聴聞することだと思と
その20歳の青年は いうのです。
仏さまのお話を聞かせていただくことが、ご恩返しであると。

 言われてみると、お聴聞することで、気づかないでいる
多くのご恩に気づかせていただく、そうすることで
自分がやるべきことが見えてくるのは確かだなあと感じました。

 南無阿弥陀仏のお念仏を聞く度に 私に はたらきかけていただく
数々の力に 気づかせいただくことで、この人生は もっともっと
有り難く 素晴らしいものであることに気づくことが出来、
平凡な人生ではなく、当たり前の人生ではなく なんと多くの願いに
包まれて これまで生かされてきたのかを
改めて 味わわせていたくことが出来るのです。

          


           私も一言(伝言板)