第1528回 お寺 楽しいーん ~孫の質問に~

 令和4年 5月12日~

「じいちゃん ようお寺に行きよるけど 何んが楽しかと。」 ・・・
こう聞かれた八十代のおじいちゃんは しばらく考えて、
「学校は 楽しかろう、友だちいるもんなあ、知らんことを教えてもらうし
  毎日行っても飽きやせんやろうが。
  お寺も 友だちいるし、知らんこと聞けるし、そりゃあ楽しかもんよ。

  でん、学校とお寺は ちょっと違いはあるなあ。
  学校は おぼえなならんことが沢山ある、いやな試験が待っとる。
  お寺は、知らんことを聞いても、おぼえんでもよか 試験もなか。
  そりょーあ、気楽なもんたい。遊びといっしょ。

  知らんことを知るといっても、そうーやなあ。
  今まで、当たり前と、何んにも感じなかったことが、いつのまにか、
  当たり前でなくなり、有り難いこと めずらしいこと なかなかないこと
  と気づくことが多くあって、普通の何でもないことに喜びが感じられ、
  わくわくすることがあると。

  爺ちゃんも 若い頃には おまえたちと同じように、
  夢もあった、希望もあった、ああもしたい こうもしたいと。 
  それが、年取るにしたがって、だんだん未来がなくなってくる、

  ところが、お寺で仏さんの話を聞いとると、なぜか 若いときのように、
  未来が明ろおなってくる。
  まだまだ やることが沢山見えてくる 生活に張りが出てくるもんなあ。

  もう八十にもなったと 思っとったが、まだ、八十歳、
  これからが、楽しみ、あれもこれもと やるべきことを、
  思いついてくる。
  この世だけではなく、いのち終わってからでも、やることが見えてくる。

  今思うと、もっと早よう、子どものころに、お寺で話し聞いときゃ
  よかったと、思うことがあるが、
  若いときには 聞いても分からんやっただろうなあ、
  そうやねえ、おまえが、学校が楽しかように、今、爺ちゃんは、
  お寺がたのしかとよ。」 と。


          


           私も一言(伝言板)