第1575回 信心よろこぶ そのひとを

 令和5年 4月6日~

 本願力にあひぬれば  むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海(ほうかい)みちみちて
  煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし(『註釈版聖典』五八〇頁)

 阿弥陀如来は いつも私に呼びかけ はたらきかけておられると
気付かされた人は むなしい人生で終わることはありませんよ。
煩悩一杯のこの私に 南無阿弥陀仏の功徳が満ち満ちて 
仏さまの仲間としての生きがいある 人生を送ることができるのです。


 親鸞聖人が お読みいただいたご和讚ですが、
お念仏の教えに出会うことが出来ると どうして
むなしい人生ではなくなるのか、
南無阿弥陀仏の功徳は いつどのように この身に
入る込んでくるのだろうかなどと
科学的な思考をする私たちは ついつい疑問に思ってしまいます。

 お釈迦さまは 「一切衆生悉有仏性」 すべての生きものには
仏になる種 仏になる性質 能力、 その種が宿っていると説かれています。
親鸞聖人も ご和讚に 

  信心よろこぶ そのひとを 如来とひとしと ときたまふ
   大信心は 仏性なり  仏性すなはち 如来なり  と 

 味わっておられます。


 阿弥陀さまは すべてのものを もらさず救おうとの願いを樹て
自分で厳しい修行をして、今から十劫前に仏となって 
はたらき続けておられる。

いつでもどこでも 絶えず はたらいておられる、それは、
私の外側からだけではなく
すべての生き物の中に、私の中でも はたらき つづけておられると
いうことなのでしょう。

 それなのに 私たちは それに気づかず 自分中心で 
一喜一憂しながら生きています。

赤ちゃんを見ていると 自分と他人との区別がなく、大事なものでも 
素直に相手に手渡すことができています。
しかし、少し知恵がつくと、これは私のものだと、おもちゃの

奪い合いが始まります。

 私たちは 学校教育を何年も受けてきて、競争心が芽生え
努力すると成果があがることを知り、損か得か 勝ちか負けか
という感情が膨らんで 損得勘定を基準に、生きています。

 ところが、この私のことを 一人子のように心配し、
なんとか喜び多い 生きがいある 人生を送らせ
やがては お浄土に生まれさせ 仏にしたいという阿弥陀さまの
願い はたらきを聞かせていただくことによって、 私の中にある仏性、
仏になる性質を持っていることに気づかされ、今までと生き方が
少しずつ変えられてくるのです。

 煩悩一杯の私のままで、仏さまになれるような能力が 開発されていき
それによって、ものの見方や行動が変わり、 私の人生は、
大きく違ってくるのです。


 お聴聞を勧めるのは、仏様の話を聞くことで、私のために はたらきかける
大きな力があることを、この真実を知らされ、気づかされて、
自分の進むべき方向 目標 生き方が 変えられていくのだと思います。

 両親や祖父母、多くの祖先たちが、阿弥陀さまと一緒になって
このお念仏の教えに遇い、南無阿弥陀仏を口にする生活をしてほしいと
期待して はたらき続けていらっしゃるのでしょう。

 やがては私も仏となって、子や孫だけでなく、多くの人々の幸せになる方法を
呼びかけ続けていくことができる。
死んだら終わりの人生ではなく、まだまだ 仏さまになって活躍できる未来がある、
明るい喜び多い人生を受け取ることになるのです。

 私の中の煩悩に支配され、わがままな自己中心的に生きていくのか。
それとも 阿弥陀さまの仲間として、生きがいある喜び多い
明るい未来を味わえる人生に、気づかせていただくのか。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にして 耳に聞くたびに、
有り難い人生であることを 味わい感謝の毎日を送らせていただきたいものです。


          


           私も一言(伝言板)