第1289回 「蜘蛛の糸」の後に

 平成29年 10月12日~

「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、
 のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚めきました。

その途端、今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、ぷつりと音を立てて断れ、
カンダタは 独楽のようにくるくるまわりながら、まっさかさまに
落ちてしまいました。

 お釈迦様さまは、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、
カンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔を
なさりながら、自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、無慈悲な心が、
そうして その心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、
浅間しく、悲しく思召されたのでした。

 お釈迦さまは、その日も、いつものように禅定に入られました。
善行も積めず、慈悲の心も持たないものを、地獄へ落とすことのない方法は
ないものかと思案されました。
そして、多くの仏さま方が、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
讃嘆されている阿弥陀さまの教えに、出遇われたのです。


 そのとき釈尊は喜びに満ちあふれ、お姿も清らかで、輝かしいお顔が
ひときわ気高く見受けられた。
そこで、お弟子の阿難は釈尊のお心を受けて座から立ち、

衣の右肩を脱いで地にひざまずき、うやうやしく合掌して釈尊にお尋ねした。

「 世尊、今日は喜びに満ちあふれ、お姿も清らかで、そして輝かしい
お顔がひときわ気高く見受けられます。まるでくもりのない鏡に映る姿が
透きとおっているかのようでございます。そして、その神々しいお姿が
この上なく超えすぐれて輝いておいでになります。

わたしは今日までこのような尊いお姿を見たてまつったことがございません。
そうです。世尊、わたしが思いますには、世尊は、今日、世の中でもっとも
尊いものとして、特にすぐれた禅定に入っておいでになります。

 過去・現在・未来の仏がたは、互いに念じあわれるということでありますが、
今、世尊もまた、仏がたを念じておいでになるに違いありません。そうでなければ、
なぜ世尊のお姿がこのように神々しく輝いておいでになるのでしょうか 」


 この後、釈尊は 地獄に落ちることしか出来ない人々を、「南無阿弥陀仏」の
お念仏一つで救うという、阿弥陀如来の教えを説かれたのです。
そして、「わたしは慈しみの心をもって哀れみ、特にこの教えだけを

その後いつまでもとどめておこう。そしてこの教えに出会うものは、
みな願いに応じて迷いの世界を離れることができるであろう 」と
大無量寿経を 説いていただいたのです。

これによって、多くの人がお念仏の教えに出遇い、地獄に落ちること無く
お浄土に生まれ、仏になって、活躍出来るようになったのです。


 カンダタもまた、阿闍世や韋提希と同じく、還相の菩薩さまであったのでしょう。


          


           私も一言(伝言板)