第1582回 忘れなければ 生きていけなかった

 令和 5年5月25日~

 純粋に泣けるドラマとの宣伝で 「おもかげ」というドラマを見ました。
65歳の定年を迎え、送別会の夜、贈られた花束を手に帰宅する
地下鉄の中で突然倒れ、集中治療室に運ばれた男、心配する妻や娘。

戦後の成長期に仕事一筋に生きてきたサラリーマン世代。
子どもが交通事故で入院した時も、ちょっと顔を見せるだけで、

海に行きたいという子どもの願いもそこそこに聞き、
急いで職場に戻る猛烈社員。

小さな長男は、まもなく命を終え、後悔するものの、
「ちゃんと見てないからだ」「待ってたのに、何で病院に
戻ってくれなかったの」と、妻となじりあうしか無かった
若い日の辛い悲しい過去を持つ。

 今、ウクライナでも、多くの戦災孤児が 生まれて
いることでしょうが、主人公の彼も 戦後の混乱期に、
孤児院で育った親を知らない子どもでした。


 ところで、終戦から50年たった頃 父親の50回忌法要が続く中、
こんな話を聞きました。
「父親とは 一度もあったことないんですよ。私が生まれる前に
戦死したもんで、写真でしか知らんのです」と。

 そして、御斎でお酒が入ると、
「悲しいもんで 自分が父親になって
 子どもと、どう向き合えばいいのか、
よくわからんで、妻にまかせて逃げてばかりいました。
自分の子どもも、父親になって、きっと、どうしていいのか分からんで、
悩むでしょうね。
戦争は酷ですね 何世代も陰を落としていくもんですよ」と。

 ドラマでは、昏睡状態の中、戦争孤児で仲間たちと盗みをしながら
生き延びた老人や、謎の老女や女性に忘れようとしていた過去を
思いおこされ、生きぬいてほしいと赤ちゃんを地下鉄の車内に捨てる
若い母親と、その赤ちゃんを、みんなで拾い上げる人々などを
見せられることで、


自分は捨てられたのではなく、一人で生きてきたのではなく
多くの人々に支えられ、
 いままで生かされてきたのだと、
感じ取り、感謝しながら
 生きていかねばと、思わされる物語でした。

 忘れたい、忘れなければ生きていけない、悩み苦しみを持ちながら
生きている人が、私の周りにも一杯いることでしょう。
原作者の浅田次郎さんは「同じ教室に、同じアルバイトの中に、
同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う」と。


 阿弥陀さまは 私たちのことをみんな知って、よく頑張ったね、
辛かったねと見守り、はげまし続けてておられるのです。
どうか、この世を精一杯生き抜いて、やがてお浄土へ生まれて
来てほしい、一緒に、はたらいてくださいと、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼びかけておられるのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 阿弥陀さまの呼び声、一緒に
私の親たちも、よく頑張った、辛かったね。苦しかったね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、呼びかけて おられるのです。

          


           私も一言(伝言板)