第1633回 よく頑張ったね 

 令和6年 5月16日~

 2歳年上の兄が 亡くなったとの知らせを受けて、
慌てて上京して、お別れをしてきましたという方が、
お参りになりました。


 学校を出てから、東京で就職し、東京の人と結婚し、子どもにも
恵まれ85歳で亡くなりましたと。

 ちょうど、その日、新聞の投稿に、友人の死を悼んで綴られた
文章を見た直後のことでした。
「肩車を してもらっているだろうか 今頃は 戦死した父親に
 亡くなった親友は」
と言う内容でした。

 兄も5歳の時に父を亡くしています。一番遊んでもらいたいときに
父と別れ、もう肩車してもらうことの出来ない、寂しさを 悲しさを
持ち続けての80年だったのだろうと思います。
新聞の投稿を見た日に兄の死を知り、多くの方々が戦争で
肉親を亡くされたのであろうとつくづく思いました。

 そして今も ウクライナやガザ地区では、
親を亡くした子ども、夫や妻、子どもをなくして悲しむ人が
沢山いらっしゃることでしょう。
その悲しみ寂しさは、一生涯深く続いていくことでしょう。

 新聞の投稿では、お浄土で父親と再会して、きっと今頃は
甘えていることだろう、との文章でした。
甘えたい、肩車をしてほしいのに我慢していたことを、友人に
話していたのか、それとも友だちが日頃感じておられたのか。
大切な人が去った悲しみが投稿されていました。と
お話いただきました。

 そこで、こんなお話をしました。
浄土真宗では、亡き方は、お浄土でじっと
待っていていただくのではないと説かれています。
仏と成って、この世で、はたらき続けておられるのだと。

 ですから、この世の出来ごとを、いちいち説明しなくても、
仏となったお父さんは、全部知っておられて、
「大変だったね、ご苦労やったね。よくがんばったね。」と、
今頃は、きっとほめていただいておられることでしょう。

 親というものは、生きて居る時は勿論、
亡くなって仏になっても、尚一層、子どものことを案じ、
いつも応援していただいてたことでしょう。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の仏さまとなって、
お父さんと再開したお兄さんは、お父さんといっしょになって、
弟さんのことを、見守って応援しておられるのでしょうね。と
少し疲れて、淋しそうな弟さんに、お話しました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

          


           私も一言(伝言板)