第929回 私のために生まれてくれた人 〜近かすぎて 気づかなっかたが〜

 平成22年 11月 11日〜

法座に参列された方への施本に 本願寺出版から出ている 「心のポケットに」
〜言葉の花束を〜 外松太恵子著を 求めました。

その中に 「私のために生まれてくれた人」という項目があり 東井義雄詩集(探求社刊)から

妻 ひょっとして これは 私のために 生まれてくれた

女(ひと)ではなかったか あんまり身近に いてくれるので

きづかずにきたのだが

 という詩があり その下に
「妻」と題したこの詩は、東井先生が恐らくこれが私の最後の本になるだろう
といわれた詩集の中の一節です。

 妻も夫も、いたずらっ子も先生も、看護婦さんも運転手さんも・・・
誰もが、「ひょっとして、私のために生まれてきてくれた人ではなかったか!」と
これから出会う全ての人、これまで出会った全ての人や出会いに
「ひょっとして私のために・・・・」と気づく毎日を過ごしたいと思います。

私が人間になるために、これほど身近に、大いなる尊い無限のみ光が届けられて
いるのだと、しみじみとこの詩を読み返しています。

ああ、何だかワクワクしてきました。
これから、どんな出会いがあるのでしょうか。
たとえ、それが悲しみや痛みを伴っても、逃げないで受け止めていく力が
湧いてきました。

登校できずに、じっと部屋に閉じ籠っている子、いじめをしている子、されている子、
万引きや性非行を平然としている子、虐待に耐えている子・・・、どの子も
無力な私の前に、先生、がんばってよと、今日も私の前に、後にやってきてくれます。

どの子も「私のために」―――、傷ついた彼らの心によって私が洗われ救われていくのです。

如来さまの悲しみが伝わってまいります。・・・・・・・・

    と、この本にはありました。

これから出遇うすべての人々 これまで出会った多くの人々 みな私のために

生まれてくれ 私のためにご苦労いただいた 方々であったと 味わえる
人生を送らせていただきたいものです。

そして 南無阿弥陀仏のご縁をいただくためにご苦労下さった方々は この私のために 
還相された方々であったと 思われる生き方をしたいものです。

法座参詣のみなさまは どうぞ この施本お受け取りください。


妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、11月18日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)