第1292回 みんな仏に成れるのか

平成29年 11月2日~

 ひと昔前まで、「自業自得」とか「因果応報」などの言葉がよく使われていました。
自分の行為の結果は、自分自身に返ってくる、責任は自分自身で、受け取らねばならない、
決して消えることはないということでしょう。


 ところで、今、大きな誤解があるようです。
死ねば全員仏に成るのだという思い込みです。

死んだら仏になるとの誤解で、何の不安も無く、のんびりとした人生を送っています。
しかし、お経にあるのは、人間は地獄にいくような原因ばかりをつくって生きている
すべての人は地獄にしかいけない、それが余りにも可愛そうで、仏さまは
南無阿弥陀仏を与えて、南無阿弥陀仏を信じ口にする「念仏の人」は 
ひとりも漏らさず浄土へ生れさて仏にする、地獄や餓鬼や畜生のない世界に生まれさせる
と説かれています。

 地獄に行くしかない生活をしているのに、気づかず何の努力もしていない、可愛そうな人に、
お念仏に出遇わせて、その人を救いたい。
これが法蔵菩薩の願い、そして、宇宙的な永い時間修行して、その功徳を積み重ねて
阿弥陀仏となり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と今現在、はたらいていただいているのだと
無量寿経には説かれています。

 ですから、お念仏に遇えない人は、残念ながら地獄に落ちるしかなく、また苦しみの
世界で永い長い間過ごさねばならない、どうしても救われることはないのです。
親鸞聖人のお弟子さんが、聖人の言葉を思いだし記録した「歎異鈔」の中には

  いずれの行も およびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし・・・
 《意訳》本来、どのような努力によっても、仏になることのできない
       身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。

 現代の多くの人の常識とは、大きな違いがあるのです。
常識では 死んだら終わり すべてが無くなる。もし次の世に生れるなら
自分は、何も悪いことはしていない、きっと極楽へ行けるのだろう、そう単純に
思い込んで安心しています。

学校教育やテレビ・新聞だけの知識で、すべてのことが分かっている、知らないことは
何もないと思い込んでいる人は、やがて、むなしい人生、後悔の人生が
訪れてくるのです。
そして、生きている間から、やがて老病死の苦しみに、地獄のような毎日が
待ち受けているのです。

「どうか、一日もはやく、お念仏の教えに出遇ってください。
  お念仏の人生を受け取ってください」と、多くの先輩のはたらきかけに、
一刻も早く気づかせていただきたいものです。

全員が、仏に成れるのではありません。
お念仏の人は、一人残さず間違いなく救うというのが阿弥陀さまのはたらきです。
南無阿弥陀仏に出遇わないと、もっともっと苦しみいっぱいの世界に間違いなく、
行くような罪多い生活を、私たち人間は全員しているのです。

          


           私も一言(伝言板)