第1598回 さとりの身となって

 令和5年 9月14日~

 今回も 本願寺派総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。

【仏教のことば】
 念仏の行者とは、わたしを念仏の行者たらしめている
 本願力の不思議を信知し、感動しているもののことである。
         (梯 實圓『教行信証の宗教構造』P72· 202387

【仏教のことば】
 「この源空(法然聖人)の信心も、阿弥陀さまからいただいた
  信心じゃ。そして、善信さん(親鸞聖人)の信心も、
  阿弥陀さまからいただいた信心。だったらまったく同じ、
  一つと言うべきでしょうな…」
         (『いつでも歎異抄』P71「後序」意訳) 202388


 毎年のご正忌報恩講で 親鸞聖人ご伝絵をご紹介していますが、
法然聖人のところで、先輩同僚と 信心についての論争のところです。
自分の努力で起こす信心ではなく、阿弥陀さまからいただいた信心
そこで、師匠の法然聖人の信心も、お弟子の信心もみな一緒のくだりです。


 【仏教のことば】
  ほんとうの宗教はこの自分の中に最も危ないものを
  蔵していることが知らされることであります。
  浄土真宗の御念仏とは正しくこの私の中に鬼を
  見出すことといえます。
  危ないことを危ないと知らされると、危ないことに
  気をつけることとなります。
         (稲城選惠『人生の道標』P158· 202389

 【仏教のことば】
  浄土真宗の仏事は、阿弥陀仏のお徳を讃えるとともに、
  亡き人を、阿弥陀仏と同じさとりを開かれた仏さまとして敬い、
  そのお徳を讃えるということでもあるのです。
  追善供養ではないからといって、亡き人への思いを
  軽んじるということではありません。
     『季刊せいてん』115P52) · 2023811

 【仏教のことば】
  仏の国に往き生まれていった懐かしい人たち。
  仏のはたらきとなって、いつも私とともにあり、
  私をみまもっていてくださる。このお盆を縁として、
  すでに仏となられた方々のご恩をよろこび念仏申すばかりである。
     (『拝読 浄土真宗のみ教え』P53) · 2023812


 【仏教のことば】
 「…私が死んだらお浄土へまいらせていただきます。
  …けっして遠いところへ離れていくのでもなければ、
  子供と別れていくのでもありません。
  ほんとうのさとりの身となって永遠に子供のうえに
  生きることができるのです…」(山本和上のお母様の言葉)
     (山本仏骨『親鸞人生論』P222) · 2023814


          


           私も一言(伝言板)