第1618回  遠くて 近いのは

 令和6年 2月 1日~

 日頃 車でばかり移動していますが、忘年会や新年会
お酒を伴う会合では 自分の車で出かけるわけにはいきません。
研修会など、1時間以上かけて遠くから参加される方、
特にお酒の出る会合では 悩まれることだろうと思います。

 先日、久しぶりに、ひとり、てくてくと歩きながら、
一休さんと 蓮如上人の逸話を思い出しました。

浄土三部経の一つ 「仏説阿弥陀経」には、
「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、
極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる
がおられて、今現に教えを説いておいでになる。」と

説かれています。

そこで、一休さんは
 極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ婆は行けまじ と
読まれたと伝えられています。

 お念仏の教えは、阿弥陀さまのはたらきである他力というが、
お浄土までが、十万億の仏の国々を超えた世界であるのならば、
とても、老人ではたどりつくことができないではないか、との
皮肉がこめられた歌とも取れます。

それに対して 蓮如上人は
 極楽は十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声

 一休さんは 修行してさとろうとする 聖道門の方ではありますが、
阿弥陀さまの他力のお念仏の教えに 好意的で 理解されていたのだと
思います。

そこで、庶民の疑問をうたでよみ、蓮如上人がどのように
答えてくれるのかを 楽しみに 問われたのでしょう。
お釈迦様の教えも お弟子さんの問いに答えて説かれたものが
ほとんどと言われます。

 仏教の教えは 問題意識 問いがなければ とても伝えることのできない
大きく深い教え、漠然と聞くのではなく、人生、毎日の生活の
老病死をはじめ、苦悩の中で 問いを持ってお聴聞すると
私のための教えであったと 納得いくものです。

 どんなに遠くにあろうとも、南無阿弥陀仏のお念仏一つで 仏の国に
生まれ、今度は 人々を救うはたらきに従事するのだよ、待ってるよと、
私の大切な人々が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 見守りながら
よび続けていただいているのです。

          


           私も一言(伝言板)