第902回 讃えます 如来の恩徳の深いことを〜

平成22年 5月7日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。
こんなことを 考えています。

真理とは 何か 時代や場所や人間が違っても 変わりなく働く法則であろうと
感じています。

1+1は 2に なるように 2+2は 4になるように 誰がやっても
時代が変わっても 変わらないもの。

我々は この法則を どれぐらい知っているのか。
小学生のころ 苦労した 99の掛け算 知っていなくても 生きていけます。
しかし、それを知らなければ 毎回 指で数えて 貴重な時間を無駄にするものです。

丸いものの周りの長さは 直径に 3,14を掛ければ 出てくるし 円の面積も
半径と3,14で 計算できます。三角形の面積の出し方も、分数の計算にも 
公式 法則があるものです。

数字の世界だけではなく 春夏秋冬の季節の変化、日の出日の入り 水は高いところから
低いところに 自然にも法則があり 摂理があります。

おなじように 人間が生きていく上にも 法則があるはずです。
それを 知っているのと知らないのでは その生活はまるで違ってくるでしょう。

お釈迦さまが 説かれた 縁起も 四諦八正道も 逃れがたい生老病死の理も
真理であり 法則だと 思います。

南無阿弥陀仏で 救われる 南無阿弥陀仏で お浄土へ生まれるのも
真理であると 説かれています。

人間が生きていく上での 法則 真理 それに 気づき確かにそうであったと
驚きと 感動を伝えていただいたのが 親鸞聖人ではないでしょうか。

南無阿弥陀仏に出会えた、その感動が 喜びが  突き動かし 
ご高齢にもかかわらず 多くのご著作を お書きいただいたのではないか。

法然上人が 導いてくださった 真理 お念仏のはたらき この世の法則
それを 体感して残していただいたのではないかと 味わいます。

教行信証の総序の最後に

 ここに()禿(とく)(しゃく)親鸞(しんらん)(よろこ)ばしいかな、
西蕃(せいばん)月支(げっし)聖典(しょうてん)東夏(とうか)日域(じちいき)師釈(ししゃく)に、
()ひがたくしていま()ふことを()たり、

()きがたくしてすでに()ことを()たり真宗(しんしゅう)(きょう)行証(ぎょうしょう)
敬信(きょうしん)して、ことに如来(にょらい)(おん)(どく)(ふか)ことを()んぬ。
ここをもって()ところを(よろこ)()ところを(たん)ずるなりと。


現代語訳では

よろこばしいことに、インド・西域の聖典、 中国・日本の祖師方の解釈に、

遇いがたいのに今遇うことができ、 聞きがたいのにすでに聞くことができた。

そしてこの真実の教・行・証の法をこころから信じ、

如来の恩徳の深いことを明らかに知った。

そこで、聞かせていただいたところをよろこび、

得させていただいたところをたたえるのである。

この法則を知っているのと知らぬとでは 同じ 人生でも まるで違ってくる
どうぞ 出あってほしい 気づいてほしい 受け取ってほしい と書き続けて
いただいたのだと味わいます。

説明ではなく 
()ところを(よろこ)()ところを(たん)ずるなりと。

あるところを 味わわせていただきたいものです。

お聴聞を重ねるごとに 歳を重ねるごとに 聞くことが喜びとなり
生きていることが 有難く うれしく お念仏の味わいが 深まってくるものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、5月13日に 新しい内容に変わります。


         


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