第1624回 いつも 私を

 令和6年 3月14日~

 知り合いのお嬢さんの結婚披露宴に出席しました。
新郎新婦の紹介が、写真を大きく映しながらありましたが、
新婦さんが、こんな風に話してくれました。

アルバムを開き、多くの写真を見ながら、
どの写真を使おうかと、選び出していたとき、気づいたことがあります。

 赤ちゃんの時から、幼稚園、小学校といろいろの行事、
そして、遊園地や海水浴、旅行と家族揃って写った沢山の写真に
兄弟や母親は、写っているのに、父親の姿が、一つもないのです。

 知らない人が見れば、父親の居ない家族と思われるでしょうが、
車を運転して、いつも連れていってくれたのは、お父さんでした。
そのお父さんが、どこにも写っていない。
それは、いつも父さんが写真を撮ってくれていたからです。

 そう思って、写真を選んでいると、どの写真も、
ただの記念写真ではなく、お父さんのまなざしの記録であるということに
思いあたりました。

 当たり前になっていましたが、
いつもあたたかいまなざしの中に、生かされていたことに
写真を選びながら、はじめて気づきましたと
父親への思いとお礼のことばがありました。。

 これを聞きながら、
私の周りの多くの人々も、阿弥陀さまも、
どの写真にも写っていませんが、いつも私を見守り、励まして

くださっているのに、気づいていない私がいることに。

 私が気づかなくても、いつも見守って応援し、サポートして
くださっているのに、気づかなければ、何でもないことですが、
気づくと、本当に有り難いことだと、感じさせていただきました。

当たり前で終わらずに、多くの思い、はたらきかけに、
気づくか気づかないかで、私の人生は 大きく違ってくることを。


          


           私も一言(伝言板)