第1666回 私の宝ものです。

 令和7年 1月2日~

 本堂正面に今年は、絹の紫色の幕を張っています。
いつもの木綿の幕に比べて 軽く色も鮮やかですが、残念ながら
たたみシワが はっきりと見える欠点があります。

 木綿幕の時には、霧吹きをして、そのシワを
伸ばしていましたが、絹製でも同じようにしても良いのか、
ネットで調べてみましたが、絹は水が大好きですと書かれており、
お風呂掃除用洗剤のボトルをよく洗い、そこに
水を入れて シュシュと吹き付けて、たたみシワを立派に
伸ばすことが出来ました。

 昭和48年 3月 川崎みやと、寄進者の名前と
「宗祖親鸞聖人、御生誕800年記念」とあり、今から50年前に
御寄進いただいたもの、シワが取れヒーンと伸びた下り藤の幕、
太陽があたると輝いて見え、うっとりと見とれています。


 ところで、こんな話を聞きました。
一人住まいだった母親を亡くし、故郷に帰って
遺品を整理をしいたときのことです。
母のタンスの上に 一つの箱が置かれていました。

それを開くと、中学、高校の時 夢中だった
野球のユニホームが 綺麗に洗って 入っていました。
太ってしまい、もう着ることはできませんが、母親が
捨てずに大事に保存していたのが意外でした。

そして、ユニホームの下には、小学生、中学生、高校生の
通信簿が順番に全部 そろって入っていました。

自分の子どもや妻に、とても自慢出来るような内容ではなく、
そのまま捨ててしまおうと ゴミ袋に入れようとしましたが,
箱の一番下に、母親の字で 「マー君 よく頑張ったね
貴方は私の宝ものです」と書かれた紙が 張ってあり、
捨てるのを思いとどまりました。

 お通夜 そして葬儀、初七日と ご住職の話で
南無阿弥陀仏のことを、
「任せない あなたを必ずそのまま救う 親だから」と

南無阿弥陀仏の意味を教えていただきましたが、
ただひたすらに、この私のことを見守り続けてくれた母
今まで気づかなかっただけ、

何の条件もなく、私の頑張り努力の結果ではなく、
そのままの私を 受け入れてくれていたことを知りました。
そして阿弥陀さまの国で 仏になった 今も 私を見守り続けているのだ、
だろうと気づきました。

 もっと頑張りなさい、努力しなさいではなく、よく頑張ったねの
言葉に、安心しホットしました。
任せない あなたを必ずそのまま救う 親だからと
の言葉が 有り難く。

いま仏になった母親が、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけているのだろうと。
この故郷へは 帰るつもりはまったくなかったのが、今
定年後、帰って親たちが生きてきた世界を見直してみようと
思うようになってきました。 と

 

          


           私も一言(伝言板)