第958回 人生そのものの問い 〜何のため生きているのか〜

  平成23年 6月2日〜

日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れたとき、
自分や家族が大きな病気になったとき、
身近な方々が亡くなった時、

「人生そのものの問い」が起こる。

「いったい何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」。

この問いには、人間の知識は答えを示せず、
積み上げてきた経験も役には立たない。

目の前に人生の深い闇が口を開け、不安のなかでたじろぐ時、

阿弥陀如来の願いが聞こえてくる。

親鸞聖人は仰せになる。


弥陀の誓願は無明長夜の おほきなる ともしびなり

「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、
煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火となる。

この灯火をたよりとするとき、


「何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」

この問いに確かな答えが与えられる。


 拝読 浄土真宗のみ教え 「親鸞聖人のことば」より
何の問題もなく順調であるときには 気づかず見過ごして
しまうことも、何か特別の都合の悪いことが 起こったときに
その答えを見つけるのは、難しいことです。

お釈迦さまが説かれ 親鸞聖人が味わわれた ことばに

その問題の解決が見つけ出せるものです。

父も母も 祖父母も そのまた前の 先輩たちも 同じ悩みや
苦しみ、さまざまな問題を抱えながらの 人生だったと思われます。

その先輩たちが これこそが私のための教えだと 残してくださった
数々のことばに 耳を傾け 南無阿弥陀仏を口にした 毎日を
送らせていただきたいものです。

妙念寺電話サービス 次回は 6月9日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)