第1752回 数多くの先輩が そろって

 令和8年8月27日~

法蔵菩薩が永劫の修行をして、阿弥陀仏と成られて、もう十劫もたつと
いわれます。
私は、このたび初めて、南無阿弥陀仏に出会えました。
死んだら終わりという価値観だったのが、お念仏に出会えた人は、
もう仏の仲間、いのち終われば、阿弥陀さまの国であるお浄土へ生まれて、
阿弥陀さまと同さとりを得て、阿弥陀さまと同じく、すべての人を、
ひとり残らず、お浄土へ生まれさせ、仏にするはたらきが出来るように
なると、知らしていただきました。

 ところで 親鸞聖人のお弟子さんがまとめた、「歎異抄」には、
こんなところがあります。(第5条・現代語訳)
 親鸞は亡き父母の追善供養のために念仏したことは、かつて一度も
ありません。 
というのは、命のあるものはすべてみな、これまで何度となく
生まれ変り死に変りしてきた中で、父母であり兄弟・姉妹であったのです。
この世の命を終え、浄土に往生してただちに仏となり、どの人をもみな
救わなければならないのです。

 念仏が自分の力で努める善でありますなら、その功徳によって亡き父母を
救いもしましょうが、念仏はそのようなものではありません。
自力にとらわれた心を捨て、速やかに浄土に往生して さとりを
開いたなら、迷いの世界にさまざまな生を受け、どのような苦しみの
中にあろうとも、自由自在で不可思議なはたらきにより、何よりも
まず縁のある人々を救うことができるのです。

 このように聖人は仰せになりました。 とあります。

 はたして、私の父母や祖父母、ご先祖方は、お念仏にどれだけの人が
出会え、どれだけの方々が、お浄土で 仏になっておられるのか、それとも
六道に流転しているでしょうか。

 お盆、本堂の荘厳は、たくさんの ほうずきを束ねて、円柱にして
お飾りしています。
ほうずきは、提灯のようにも見えます。その数多くのほうずきの提灯を
見ていると、仏となった先輩達が、みんな揃って、私を照らして
いただいているようにも見えてきました。

 私が知っている先祖は 写真で見ることができる、ほんのわずかの人ですが
数え切れない多くの先輩達が、何千 何万、何億と、仏となられた方々が、
みんなそろって、阿弥陀さまと一緒になって、私たちにお念仏を薦めて
いただいた、そのお陰だったのだろうと、味わえてきました。
私が 南無阿弥陀仏を口にすることが出来たのは、阿弥陀さま、そして
多くの先輩のはたらきがであったと、有り難く味わえてきました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏にやっと出会えました、数多くの先輩と
直接遇える日が まもなくくるのです。その日まで 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏の 報恩の喜びの毎日を送らせていただきたいものです。