第1753回 今が変われば 過去が変わる

 令和8年 9月3日~

 私たちは 未来は変えることが出来るものの 過去は変えることが
出来ないと思い込んでいます。
ところが、お念仏の教えに遇うことが出来れば、過去がまるで違って
見え、味わえてくることを、教えていただきました。


親鸞聖人がまとめていただいた 教行信証のはじめに
こんな所があります。(総序・後半 現代語訳)

 ^ああ、 この大いなる本願は、 いくたび生を重ねてもあえるものではなく、
まことの信心は、どれだけ時を経ても得ることはできない。
思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、 遠く過去からの

因縁をよろこべ。
もしまた、 このたび疑いの網におおわれたなら、 もとのように果てしなく
長い間迷い続けなければならないであろう。
如来の本願の何とまことであることか。 摂め取ってお捨てにならない
という真実の仰せである。 世に超えてたぐいまれな正しい法である。
この本願のいわれを聞いて、 疑いためらってはならない。

 ここに愚禿釈の親鸞は、 よろこばしいことに、 インド・西域の聖典、
中国・日本の祖師方の解釈に、 遇いがたいのに今遇うことができ、
聞きがたいのにすでに聞くことができた。
そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、 如来の恩徳の深いことを
明らかに知った。
そこで、 聞かせていただいたところをよろこび、 得させていただいた
ところをたたえるのである。・・・・とあります。

 お念仏の教えに遇うことが出来ずに、世間がいう、死んだら終わりの
価値観で生きていると、過ぎ去った過去は、余りにも意味の無いものと
思えることでしょうが、阿弥陀さまの願いを知り、お念仏の教えに
遇うことが出来ると、この教えに導いてくれた、すべての出来事は 
とても有り難く意味あるものに、味わえてくるものです。


 悲しかった過去も 苦しかった過去も 無意味、無価値に思えた
すべての過去の出来事が、輝きを増して見えてくるものです。
あの出来ごとが、あの出会、あの別れが、一つとして 無駄なことではなく、
南無阿弥陀仏へ導いてくださる尊いご縁だったと 味わえてくるのです。


 世間の価値観では、過去は変えることはできませんが、お念仏の教えに
出会えたことで、すべての過去が輝きをもって見えてくるものです。
そして、過去だけではなく、未来も、大きく変わって、有り難く
希望と生き甲斐を 喜びを 受け取れることができるのです。