第1743回 大きな惠み 

令和年 6月25日~

 梅雨の朝 ご門徒のお宅へお参りし、車を降りる時
傘を持って出迎えてくださる方がありました。
荷物を持ち、傘をさすのは大変で、お陰さまで 濡れずに済みました
有り難うございますと、自分は濡れながら、傘を差し掛けてくださった方の
親切に、こころからお礼を申しました。
玄関で待っていてくださり、車が到着するとさっと飛び出し
出迎えてくださる、なんと有り難いことかと。

 仏間に通り、お茶をいただいていると、ますます雨は強くなり、
その後に到着された親戚の方は、びしょびしょにぬれておられ
タオルを借り、このままでは、座布団には座れないなあと
ひと騒ぎでした。
傘を持って 出迎えてくださった若奥さんの親切 その思いやりに
改めて感謝の気持がいっぱいでした。

 お勤めが終わり みなさんとお話をしているときに気づきました。
傘を差し掛けてくださった方には、おおいに感謝していましたが、
ずっと雨から守っていただいている この建物の屋根には 
まったく感謝の気持を持っていません。

 当然、そこにあるもの、当たり前と思って、なにも感じていません。
そのとき、思い当たりました。
小さな身近な親切は 感じることは出来るものの、おおきな親切や 
思いやりには ほとんど気づいていないのではないかと。

 また他人の親切には、お礼をいっても、親や連れ合いの思いやりは
当たり前で 有り難いとは、ほとんど感じていません。
同じように 仏さまの大きなはたらきかけは、あまりにも大きく
いつでもどこでも、常にはたらきかけていただいており、ほとんど
気づくことも感じることが出来ていないのでしょう。

 ところで、雨を嫌っている私ですが、惠の雨ともいいます。
この世に潤いをもたらす雨であるのに、濡れるのがいやだと、
嫌って、それを避け逃げている姿にも、気づかされました。
自分に都合の良いことばかりを追い求め、大きなはたらき 大きな
惠に気づかずにいる私であったと。


 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 仏さまの呼びかけ、はたらきかけ、
何事も当たり前で 有り難さも、喜びも感じることのない
ぼんやりとしている私に、気づかせていただく呼びかけと
味わえます。

 気づいていないだけで、もっともっと喜び感謝していいことばかり、
それを見過ごしていることを 知らせていただく言葉
それが南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 お念仏の声でしょう。