第1740回 月かげの いたらぬ里は

 令和8年 6月4日~

 親鸞聖人が 比叡山を降りて、吉水の里を訪ねて教えをうけ、
浄土真宗をおこし、お念仏を広められた方だと、仰がれた法然聖人のうたに

 月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む
   とあります。

 浄土宗の方々は 宗歌、あるいは御詠歌として、日頃大事に
おとなえしておいでのようですが、お念仏のことを、阿弥陀さまの
はたらきを、教えていただいたものでしょう。

 月は およそ29,5日ほどの周期で、地球を照らして続けています。
太陽のように、朝に 姿を現し、夕方に沈むのと違って、昼間に
出たり、夜中に出ることもあり、なかなか、気づかないものです。

 しかも、現代は、夜になると街灯やネオンがともり、よほど気を
つけていないと、月の光に気づくことはできません。
気づいていないだけで、月は間違いなく、平等に、山里も都会も
海辺の町も照らしてくれています。

 同じように 阿弥陀さまは すべての人々に、はたらきかけて
いただいているのに、それに気づいていないだけなのです。
すべての里、すべての人に届いていますが、たまたま眺めた人の
心にだけには届き、気づかされるのです。

 月を眺めて「本当にきれいだなあ」と思うように、たまたま
仏法に遇わせていただいた人は「ああ有り難いなあ」とお念仏を
申す人になるというのです。

 私たちの日々の生活を振り返るとき、当たり前、当たり前と、
感動もなく過ごしていますが、お念仏の教えに遇い、お聴聞をすることで、
実は 本当に有り難いことばかりであると知らされるのです。
今まで気づかなかったことに気づかせていただける
今まで見えなかったことが見えてくるのが、お念仏のはたらきは
いつも届いているのです。

 ところで、受け取った記憶の無い、亡き父の印鑑が出てきました。
亡き母が、こっそりと、置いて帰ったものなのかもしれません。
気づかないだけで、親たちは 今、仏となり 還相の菩薩として
はたらき続けてくれているのでしょう。
それに、気づいていないだけ、月の光に気づくように、
多くのはたらきかけに 気づかせていただき 南無阿弥陀仏の
お念仏を口にし 聞かせていただきたいものです。