第1736回 ご飯が美味しい

 令和8年 5月7日~

 ご家庭にお参りし お内仏でお勤めをして、法話カードを読んで
短いお話をした後、世間話になり、ご年配の方に 
近頃いかがですかと聞くと、いろいろの返事が返ってきます。


70歳80歳ぐらいの多くは、「足が痛い、腰が痛い」と
自分の体の不調を訴える方が多いものです。
ところが、90歳代になると、ちょっと考えて
「ご飯が美味しい」とおっしゃる方があります。
すばらしい、健康でいいですね。と笑ってお別れしていました。

 自分の感覚がハッキリしている80歳ぐらいまでは、
痛みや体の不自由を強く感じて、それを素直に言葉にしておられるものの、
90歳を過ぎると、痛く不自由なことが当たり前となってきて、
痛みを、あまり感じなくなってくるのだろうと思っていました。

 こ法話で、この世で信心が定まるとき、往生浄土が定まるという 
現生正定聚のお話を聞いているとき、気づきました。
80歳ごろまでは、自分の体のことしか関心がないものの、
お念仏の人は、自分の事よりも、自分のために、いかに多くの
ご苦労があり、お世話いただいているのかが、
感じ取れるようになってくるのではないかと、思えてきました。

 浄土真宗では、お念仏の人は、この世のいのちが終われば、
阿弥陀さまのお浄土へ生まれ、仏さまに成る。
それで終わりではなく、我がひとり子を思ように、すべての人の
ためにはたらく、仏さまに成るのだといいます。

 ご飯が美味しいとの言葉は、自分の体、我が身が感じる喜びではなく、
毎回、毎回、ご飯をいただくのに、いかに多くの力、はたらきが

あったのかを、感じ味わう力が育ってきて、
感謝のことばではないかと、味わえてきました。

「美味しい」を、痛い苦しいという、自分自身の感覚と、
同じように、感じていましたが、そうではなく、

周りが見えて来た人の報恩の言葉ではなかったのかと、
思えてきました。

 お陰さまでとの言葉のように、美味しとか素晴らしいとか、
喜びを味わう言葉を通して、報恩の思いを表現する力が身について
きたのではないのか。

 そういう意味では、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、
必ずお浄土へ生まれさせるという呼びかけ、それを聞いて
有り難く、うれしく、いまここにいる喜び
感謝する言葉だろうと、思えます。

 美味しい、ありがとう、嬉しい、美しい、こうした言葉は
この人生を謳歌するこころの喜びの表現と 味わえます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏が、報恩の喜びの言葉、感動の言葉と
聞こえ、味わえてくると、人生はまた一色 有り難く
感じられてくるものです。