第1731回 願いに報いる世界

 令和8年 4月1日~

 本堂のお内陣や 家庭の仏壇は、お浄土を表していると言われます。
金色に輝き、華がいっぱいに咲いている理想の世界、お浄土があると
言われますが、どこか遠くにある世界ではなく、仏さまが目にする世界を
表しているのではないかと言われます。

 お経には、お浄土は、すべてのものが金色に輝く世界といわれますが、
もし人間の私たちが見ると、その世界は、そんなに綺麗ではないもの
なのかもしれません。


ものの本質を見ることが出来る力があれば、光り輝いて見えても、
本質を見ることが出来ない私たちが、見れば、ただの薄汚い平凡な世界に
しか見えないのかもしれません。

 私たちが見ている世界は、娑婆といわれ、煩悩によって、その一部分しか
見えていない穢土の世界、損得、勝ち負けなど、煩悩によって曇った
色メガネをかけているようなもので、真実の姿を見ることができて
いないためでしょう。

 人間の願いに応じた世界、自分にとって都合のよい欲望の延長の世界
ではなく、阿弥陀如来の本願に報いた、清浄な世界は、真実報土、
浄土であると説かれています。

「言葉の通じない世界は地獄。言葉を必要とする世界が人間。
 極楽は言葉の不要な世界」とも言われます。

私たちは、言葉によって気持ちを通じ合わせていますが、
「もの言えば唇さむし」とも言われているように、話し合えば
話し合うほど空しくなり、孤独を感ずることが、あまりに
多いものです。

「独生、独死、独去、独来」としか受けとれないのが、迷いの世界と
いわれる娑婆の相(すがた)です。


お馴染みの正信偈の中に 「如衆水入海一味」
「衆水海に入りて一味なるがごとし」と
 どんな川の水でも、海に入れば同じ一つの味になる。
そのように、本願の海に入れば、みな等しく救われる。(『正信偈』)

 お浄土も、海と同じように きれいなものや汚いものを
区別することなく、全ての物を受け入れる性質があり、
煩悩にまみれた私達、すべて受け入れ、すべてが一つに
溶け合うような世界。それがお浄土ということです。


 ところで、お浄土に往くと、なにをするのでしょうか。
お浄土で阿弥陀様と同じ悟りをひらかせて頂き、 阿弥陀様とともに
縁のあった方々を仏縁に遇わせ救うという活動ができるのです。
遊びのように喜びながら、この世の生きている人々のために活動
することが出来るというのです。
それが、お浄土に往った後の楽しみなのです。