第1730回 二の矢を受けない

 令和8年 3月26日~

仏教の救いは 二の矢を受けない。

お医者さんで念仏者 田畑正久さんの「生きることを
教える仏教」(本願寺出版社)という本を、手に入れました。
その中に、仏教の救いは「二の矢を受けない」という項目があり、
こんなことが書かれていました。

 医療は「老・病・死」の現実を「若返る」「病を治癒させる」
「不死ないし先送りする」ことを救いと考えて取り組んでいます。
仏教の考えでも「老・病・死」の現実は、医療で対応出来るものは
医療者にお願いをします。決して治療を否定するものではありません。

 老病死の現実を「一の矢」と言って、「縁次第では、いかなる状況も
起こってくる」と教えています。

 仏教の救いは「二の矢を受けない」と表現します。
医療で治療をしてもらって老病死を先送りはできても、
一時的なものであって、結局は誰も逃れることはできません。

老病死の現実にいざ直面した時の受けとり方を教えるのが

仏教です。
冷静に受け止めて、いかに処していくかをより理性的、
より知性的に考えていくように導くのです。

多くの人が初詣で神社仏閣に「無病息災」「家内安全」「願い事成就」を
お願いするのは「一の矢」に相当するものを祈願しているのですが、
いかんせん、人間の死亡率は100パーセントです。

仏教に関して言えば、仏教寺院で「一の矢」に関しての
願い事は「的外れ」なお願いということでしょう。
老病(死)の現実を受け入れて、どう対処するかが
仏教の智慧のはたらき場所です。
仏の智慧で生老病死の四苦を超えるとは、そのことを言っているのです。

「老病死は嫌だ」「どうして逃げようか」「先送りしょうか」
「困ったことになった」「不安だ」「絶望だ」「なんで私は
 こんなことに」「運が悪かった」「何かたたりでは」
「あれが悪かったのではないか」などこれは
振る回されている相(すがた)で、二の矢を受けていると
表現します。

病気で苦悩して、病気は嫌だという思いで二重の
苦しみになっているのが、凡人の思考・感情ではないでしょうか。

仏教の智慧を無視しているわれわれの分別は困った現実に
直面すると善悪、好き嫌い、都合の良い悪い、勝ち負けなどで
心が揺れ動き、穏やかでなくなります。

まして死の避けられない「老・病」に直面すると絶望、
「つまらないことになってしまった」と感情をあらわにすることに
なります。
人間の小賢しい知恵でどんなにあがいても老病死にいい意味を
見出すことは出来そうにありません。・・・・・・

  二の矢を受けないのが仏教 救い とうお話です。