第1728回 言葉に出す

 令和8年 3月12日~

 お寺での法座の終わりには、恩徳讃をみんなで一緒に歌います。
  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
   師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

 この恩徳讃の 身を粉にしても 報ずべしの 
報は 報恩講の報ですから、報いるとか 知らせるとか 
その意味を考えることは よくあるものの、


後段の 骨を砕いても 謝すべし の
謝ということば の説明は、あまり聞きませんが、
その「謝」についての、お話を聞きました。

 謝の字は、言偏ですから、「言う」に、プラス「射る」。
矢を射るの、射との組み合わせです。
「射る」というのは「放つ」ということ ぐっと弓を引いて 
いっぱいにためて、それを放つこと。

いっぱいに、受け取ったものを、思い存分に吐き出す
「言葉として 外に向けて放つ」ことを意味しているのでしょう。

ということは…
感謝の気持というのは、「言葉にして外に出すこと」でないと
意味をなさない。
言葉に出して、はじめて感謝を伝えることになるのです。

恩は返せるものではない 
ただ謝するのみである という言葉を聞いたことがあります。

 こころいっぱいに感じたことを、言葉として思い切り外に吐き出す。
いろいろの感謝の言葉はあるでしょうが、もっとも正確なのは
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の名号ではないかと、味わいます。

 気づいていることも、気づかないことも、思いを言葉として、外に出す。
そして、この有り難さを、はっきりと気づかせていただいた、阿弥陀さま
お釈迦さま、親鸞聖人が日本のお釈迦さまと尊敬された聖徳太子
そして、親鸞さまのお陰であると、味わい、お念仏を、口にすることが
もっとも大事で 有り難いことなのでしょう。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏こそが、最高の謝す 言葉ではないかと
味わっています。