第1725回 たのむ 頼む 憑む 

 令和8年 2月19日~

蓮如上人のお書きいただいた「御文章」には 
「たのむ」ということばが、沢山出てきます。

 如来をたのむこころの、本願たのむ決定心を たのむべきは弥陀如来
 阿弥陀仏を一向にたのむによりて、ただ弥陀一仏をたのむうちに
 如来をたのむ身になれば 弥陀をたのむ機を 弥陀をたのむこころを 
 弥陀をたのめば、
弥陀をたのむ衆生は 弥陀をたのむ人を 
 南無とたのむ衆生を

                 などなどです。

 普通 我々は 誰々に 何々をたのむと言っています。
ところが、ここでは弥陀に たのむのではなく、
弥陀を たのむとなっています。
「に」ではなく「を」なのです。
親鸞聖人の教えの中には 弥陀「に」は出て来ずに
みんな弥陀をたのむとなっています。

 今 私たちが使っている「たのむ」は 依頼する お願いすると
こちらの希望を頼み込む言葉です。
念仏するから助けて下さいという 取引の心です。
見返りを期待している。信じるから助けて下さい、苦しみを除いて
金が儲かるように、病気が治るようにと・・・・、

ところが、ここでは
こうした依頼の「賴」ではなく、「憑む」という意味だというのです。
さんずいから 一つとって にすいに 馬、その下に心と書く、憑むです。

 この「憑む」は、「ああしてください、こうしてください」と
お願いや 注文の心をすべて捨てて、すべて阿弥陀さまに
おまかせし切って安心して日々を重ねることだと言うのです。

 思い通りになっても、ならなくても、この人生を
ありのままに受け入れて歩ませていただくということです。
私たちの人生には、よいこともあれば、悪いこともあります。
それを一喜一憂するのではなく、すべて受け取って行こうということ。

歎異抄には、「よきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、
ひとえに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはそうらえ。」
とあります。

 よきことも、あしきことも業報におまかせする。
これが本願をたのむ、如来をたのむ、他力をたのむと
いうことなのですが、 私たちは どうしても、わが身を頼み、
力んでしまいます。

 それが 迷いの根本であることを教えていただいているのです。
すでにおさめとられている私自身であったと目覚めるさせる、
お呼びかけが「弥陀をたのめ」のみ教えなのです。