第1723回 迷惑をかけるので

 令和8年 2月5日~

「子どもに、迷惑をかけたくない」と、よく聞きます。
子どもたちに遠慮しながら生活している方が多いようで、
年忌法要なども、若い方の姿は少なく、年配者だけでお勤めする
ケースが多いものです。

 浄土真宗では、「迷惑」という言葉を、少し違った意味合いで
捉えます。
「人に迷惑をかけたくない」という気持ちも大切にしつつ
誰もが「迷惑をかけずに生きられない」という視点です。

 私たちは、生まれてからずっと誰かに支えられ、助けられて
生きています。
赤ちゃんは一人で何もできませんし、成長し自分で食事が
出来るようになっても、他の命をいただいて生きています。
生きるということは、誰かの助けによって成り立っており、
人は一人では生きていけず、知らず知らずのうちに
多くの人に迷惑をかけながら生きている、誰にも迷惑を
かけずに生きることは不可能と考えるのが浄土真宗の教えです。

一方 他の多くの宗派では、自らが修行を行い、戒律を守ることで
煩悩を克服し、悟りを開くことを目指します。
このプロセスの中で、他者に迷惑をかけないように
努力することが重視されるのです。

ある方は、「迷惑をかけるな」と教えるのは道徳 「迷惑をかけている」
と教えるのは宗教であるとおっしゃっています。

 ところが、段々と都市化して迷惑を「かけたり」
「かけられたり」することが苦手になっていますが、
老いや病気、死といった苦悩に直面すると、誰かに迷惑をかけたり、
かけられたりする時が必ず訪れてくるものです。

お互いが支え合い生かされている生命であることを、
子どもや孫に、はっきりと教えるのは親の責任であると思います。
子どもたちが将来、あわて悩み苦しむことのないように
ちゃんと伝えておきたいものです。

 近頃、葬儀や通夜も、遠慮して密かに行われることがありますが、
この世は、いかに多くの方々のお陰で生かされているのか、
親たちが迷惑をかけ、掛けられた方々を 多くの参列者を通して、
教えることが出来る最後のチャンスが、お葬式だといえるのでしょう。