第1722回 造花? 生花?

 令和8年1月29日~

 寒い中 多くの方が お墓参りにおいでになります。
月二回 一日と15日とか、大切な方の命日など
枯れ花にならないうちに、連れだってお参りになっています。

 浄土真宗では、亡くなった方はすぐに阿弥陀如来のお導きによって
お浄土に往生し、仏様となると考えられています。
そのため、お墓は故人の魂が宿る場所と考えるのではなく、
故人を偲びながら、仏に成った亡き人からの声なき声をご聴聞する、
阿弥陀如来の教えに出会う聞法の場所であり、
教えに照らして自身の生き方を省みる場所として大切にされてきました。

 たくさんの命をつないで 私は今ここにいる、
たくさんの命を受け継いでいることを感じ、
命を伝えてくださったご先祖様に感謝し、受け継いだ大切な命を
精一杯輝かせて生きることを誓い、自身の命の有限性を味わう場
とされています。

お墓参りは、日々の忙しさの中で忘れがちな自己や
人生を振り返る貴重な機会であり、自身の命のあり方を
見つめ直す大切な機会といえましょう。

ですから、お墓参りは故人やご先祖様に対して
何かをして差し上げる「供養」というよりは、
阿弥陀様とともに、ご先祖様が仏となって私たちを
見守ってくださっていることへの「感謝」を伝える場であり、
家族の歴史を語り継いだり、つながりを感じるための
大切な場所なのです。

そこで、他宗派で行われるような、故人の魂を清めたり
喉の渇きを癒す意味での墓石への散水や、仏前へのお水や
お茶のお供えすることはしません。
お花や灯明は、限りある命を仏様から教えていただくための
手立てとしてお供えします。
そのために、必ず枯れる生花を供え
「生きて、やがて死を迎える」すべてのいのちの 
はかなさと尊さを教えていただくため、造花ではなく
生きている生花をおそなえするのです。

お寺の境内地にあるお墓や納骨堂の場合は まずは、
本堂の阿弥陀如来にお参りしたあとで、墓地に向かいます。

節目節目には、庫裏に立ち寄り ご挨拶をし、お寺を維持する
ためのご懇志をお届けする伝統が、浄土真宗にはあります。

まずは、ご家庭での何気ない会話や行動を通して、
お墓やお寺を身近に感じてもらうこと
特別なこととして構えるのではなく、生活の一部として
幼い頃から一緒にお墓参りに行く お墓参りを習慣化して
自然に接する機会を増やしたいものです。