第1716回 忘れてしまっても

 令和7年 12月18日~

こんな話を聞きました。
父方の祖母を、家族そろって見舞いました。
90歳を過ぎ、介護施設で生活している茶目っ気な 明るくチャーミングな
祖母を訪ねました。

 部屋に入ると、よく来てくれたねと大変喜んでくれるましたが、
しばらくすると、あなたはどちらさんでしたかね。とにこやかに尋ねます。
孫であることを名乗ると ああそうそうと、懐かしそうに喜んで
くれるのですが、しばらくすると、また どなたさんでしたかねと、
質問します。そのたびに みんなが大声で笑います。

 笑い声の絶えない明るい時間でしたが、父親だけは窓際に立ち、
外ばかり見て、その会話の輪に入ってはきません。
楽しい面会が終わり、また来ますね。ありがとありがと 
また来てねと、明るくお別れをしましたが、
帰りの車の中で、父親がぽつりと言った一言を、忘れることができません。

 実の親に、忘れられてしまうのはつらいなあー、その時は、痴呆症になった
実の母親が、自分のことを忘れてしまっていたことが、大ショックだったの
だろうと、受け取っていましたが、今、思い返すと、そればかりでは
なかったのかもしれません。

 もし、自分が母親と一緒に生活することが出来ていたならば、
介護施設ではなく、自宅で一緒に生活していたのなら、あのように
自分のことを、忘れることはなかったのではないかと、悔しく
つらい思いをつぶやいたのではないかと、気づきました。

 痴呆症になれば、一緒に生活していても、だんだんと分からなく
なっていくものなのでしょうが、息子とすれば、一緒に生活していたなら、
自分のことを忘れずにいたのではないかと、悔やんでの言葉だったのだろうと、
味わっています。


 人間は いかに頑張っても 忘れてしまうことがあります。
どんなに可愛い子供のことでも 年を取ると、やがて忘れてしまうものです。
ところが、阿弥陀さまという仏さまは、こちらが忘れてしまっても
決して忘れることのない 仏さまです。

 忘れて 無視していても、決して見捨てることのないのが
阿弥陀さまです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 声に聞こえる仏さまが
阿弥陀さまです。

自分で口にし 自分の耳で聞き、阿弥陀さまが、今 ここに
一緒であることを、どこか、遠くではなく、ここに一緒であると
味わいながら喜ばせていただきたいものです。

 私が忘れても、忘れずに 私を励まし、導いてくださるのが 
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまなのです。