第1705回 みんな 一人残らず

 令和7年 10月2日~

 テレビを見ていると、観光地や事件事故でも、スマホを
手に撮影する人々の姿をよく見かけます。
今は、写真や動画を、誰でも簡単に撮ることが出来るようになりましたが、
カメラ好きで、展示会をよく開いている方からこんな話を
聞いてことがあります。

 子どもの運動会で写真を撮りたいので、カメラを貸してくれと ずっと昔に
友だちから頼まれたことがありました。
そこで、誰でも簡単にとれる簡易なカメラを準備すると、友人は
初めての子どものためだから、もっと良いものを貸してくれとの注文です。

 自分が日頃使っているカメラは 扱いが難しいから無理だと
いっても聞いてくれません。
無理矢理、大きな望遠レンズの着いた高価なカメラを持って友人は
運動会へ行き、大量の写真を撮って意気揚々と帰ってきました。
ところが、どれもピントや絞りがうまくいかず、まともに写った
ものは一つもなかったということです。

 どんなに高級なカメラでも それを使う知識や技能がないと
何の役にも立ちません。
見かけはヤスっぽい全自動のカメラですが、
知識のない人にとっては、それが一番ありがたい立派なカメラです。

 これと似て、どんなに立派な教えがあっても、
その教えの通りに修行したり、戒律を守ったり出来ない人にとっては
何の意味もありません。
すべての人を必ず救うというお念仏の教えだから、技能や知識を
持たず、努力することも出来ない人でも、間違いなく
救われることが出来るのです。
これこそが、最も立派で有り難い教えと言えるでしょう。

 ある運動会でのこと、やっと歩けるようになった子どもたちの
かけっこで、わずか10メートルほどの決勝点に向かって、
すぐに走り出す子どももいれば、ゴールではなく親の方に、
来てしまう子ども、大きな声の応援に驚いて、
スタートラインの上で 泣き動けなく成った子どももいます。

 いつまでたっても、泣くだけで、動けない子どもに、先生が
抱き上げで、ゴールまで走ってくれた姿を見て、あああれが
阿弥陀さまの一人も漏らさず必ず救うということだなあと、
有り難く見せてもらったという 話も聞きました。

 阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって、
一人も漏らさず救うと、今、はたらいていただいているのです。
いろいろ有り難い立派な教えがあっても、この私には 
お念仏で救われる教え これしかないのです。

          


           私も一言(伝言板)