第1693回 水道の蛇口 電灯のたま

 令和7年7月10日

 こんな話を聞きました。
山奥で生まれ育った青年が、はじめて街に出て水道を見てびっくりしました。
蛇口をちょっとひねるだけで、大量の水が出てくるのに感激し
おみやげに、水道の蛇口を沢山買って帰りました。

 ところが、自宅で、蛇口をひねってみても
まったく水が出てこなかった。という お話です。
無智を笑っていますが、私たちも 同じようなことを
しているのかもしれません。

 詩人「まどみちお」さんの詩に、こんな詩がありました。

 水道のせん

 水道のせんをひねると 水がでる
 水道のせんさえあれば
 いつ どんなところででも
 きれいな水が出るものだというように

 とおい谷間の取り入れ口も
 山のむこうの浄水池も
 山の上の配水池も
 ここまでうねうね土の中を
 はいめぐっているパイプも
 それらすべてを つくった人も
 いっさい関係ないように

 牛乳びんさえあれば
 牛乳がやってくるかのように
 電灯のたまさえあれば
 電灯がともるかのように
 水道のせんをひねると 水が出る

 こんな詩です。
何事も みんな当たり前、お金を払っているから、大丈夫と
思い込んで生きていますが、この私に届くまでに
多くのはたらきが ご苦労が、思いが 詰まっていることに
まったく気づかずに生きています。

 私が見ている日常の景色、その背景に目を向けると、
目には見えない さまざまな力によって支えられていることに
気づかせてもらう、そのことを「ご恩」を知るといいます。

 自分が称えて、自分の耳で聞く 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 
当たり前になって 無感動に生きている この私に 何事も
当たり前ではなく、有り難いご縁があることを
気づかせてくださる、呼びかけの言葉ではないでしょうか。

 毎日 毎日に、不安なく お浄土への道を
一歩一歩 歩ませていただいている、多くのご縁の
お陰であったと、ありがとうございます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 お念仏とともに
喜ばせていただきたいものです。

          


           私も一言(伝言板)