第1690回 安心して堂々と生きる

 令和7年 6月19日~

 10年半に一度 当番が回ってくる佐賀組の巡番報恩講がこの秋、
101日から、私どもでお勤めしますので、いま準備を進めています。
佐賀組の新聞 「佐賀組報」に、当番寺院の紹介するコーナーがあり、
こんな文章を 今考えています。

 父を病で亡くし、母(徳川家康のひ孫)は、叔父へ嫁ぎ、
母に代わり懸命に育ててくれた大伯母(小倉局)への感謝を
表し、鍋島藩二代藩主光茂が小倉山妙念寺を建立したと
「聞書・葉隠」にあります。

 関ヶ原の戦いの後、新寺院建立禁止の法度を破り、他力念仏の
寺院を建立したのは、自力を頼む勇猛な武士から変革が
求められる中、念仏者で育ての親・小倉局の生き方のように、
報恩の生活を推奨する意図があったのかもしれません。

武士道を説く葉隠の後半、光茂の行動には、念仏者の
生き方に通ずる報恩の慈悲深い記述が随所に見られます。
そのお念仏は今も生き続いています。
婦人会手作りの記念品を準備しお待ちしています。
銀行やマンション等の中に、自然を緑を残し、安らぎの場をと。


 字数に制限があり、意を尽くさない部分がありますが、
聞書といえば 蓮如上人御一代記聞書がありますが、
佐賀の葉隠という聞書は、光茂に仕えた山本常朝という家臣が
語ったものの記録です。

 戦国時代の歴代藩主の伝承、記述からはじまり、平和になって
自分が経験したことを具体的に 語ったものですが、
武士道といわれるものは、浄土真宗の阿弥陀さまへ絶対的な信頼を、
阿弥陀さまに代わって、藩主への、お殿様への報恩の生活に
置き換えたものであると受け止めています。

 お浄土は語られていませんが、自分がいのちを落としても、
子どもや孫は、藩主、仲間に守られるという安心感も、安心して、堂々と
死んでいける、後は大丈夫という、まるで仏教の教えを元にして
いるように感じられてなりません。

 このことは、川上清吉という学者さんが半世紀前に気づき
書き残していただいています。
浄土真宗は 阿弥陀さまへの全幅の信頼、葉隠が説く武士道は
藩主への絶対的な信服、見返りを求めるのではなく、すでに
いただいているこの状況を受け入れ、報恩の生き方をすると
受け止めています。

 戦国時代とは 若く元気で自分の力で努力出来ていた時代、そして
歳を重ねた今は 自分の力よりも、すでにいただいている現実を受け入れ
かみしめて感謝しながら生きる、お釈迦さまのお念仏の教え、
浄土真宗の教えが、武士道の下敷きになっているように思えてなりません。

          


           私も一言(伝言板)