第1686回 期待され 待たれている私

 令和7年5月22日~

 お釈迦さまが教えていただいたのは、
ありとあらゆる仏さまが、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と
誉め称えておられる阿弥陀如来という仏さまのことです。

 この阿弥陀さまは、すべての人を一人残らず 救いたい、
必ず自分の国であるお浄土へ生まれさせて、仏にしたいと
はたらいておられる仏さまであると言われます。

 自分の力で、努力することが出来る、優秀な人だけではなく
この世を生きることで精一杯で、将来のことなど 考える余裕もない、
普通の人たちに、一人残らず、生き甲斐を持たせたい。

 この世では、なかなか喜びを持ち、堂々と生きていくことは
難しい者でも、お浄土へ生まれさせることで、すべての人に
究極の喜びを与えたいと、口に称える南無阿弥陀仏の名号を与えて
自分の国に生まれさせ仏にしたいというのが、阿弥陀如来の願いです。

 未来が明るく、確実なものとなると、今から生き甲斐を
持って、活き活きと生活できるようになるもの。
この世では、希望通りにはいかずに、嘆き悲しんでいても、
未来が明るい、明日が確実だと、苦難の今を乗り越えることが
できるものです。

 必ず仏となし すべての人のために全力ではたらく
万能の力を持つ仏にするというのです。
自分の為に努力して成果を求めようとするのではなく、
人々の幸せを願い はたらきづづける仏になれるのです。

 必ず活躍出来る場所があり、自分は期待され待たれている、
それが、間違いないと知ることが出来れば、
今から、生き甲斐が、喜びがわいてくるものです。

 入学試験の合格通知を受け取り、春に学校が始まるのを
待っているように、会社から合格通知をもらって、
入社式を待つような 
新しい役職を、新しい責任者の内示を受けた後の様に

未来が明るく、今から期待と喜びがわいてくるものです。

 私が期待され待たれている、活躍する場所が
機会があることを知れば、今から生き甲斐があるのです。
お浄土は、のんびりと遊んで生活する極楽ではないのです。
仏になるとは、阿弥陀如来と一緒になって、人々を救う
はたらきに邁進する、活躍する仏になるのです。

自分の為に生きるのではなく、すべての人を救うはたらきをする
仏さまになる、未来があるのです。
私は 期待されて、待たれているのです。
南無阿弥陀仏を口にする私は、仏さまになる合格通知を
もらって、お浄土へ生まれるのを待っているのです。

 明日に夢があると、今日から 喜びがあるもの。
明日孫が帰ってくる、何をしてやろうかと、心を巡らすように
やがて仏になる、何ができるか、どう働こうかと
こころ踊る毎日なのです。

          


           私も一言(伝言板)