第1684回 何が起ころうと 大丈夫

 令和7年 5月8日~

 すべての人の苦しみを取り除き、一人残らず必ず救い取ると
いう、大きなはたらきがあり、それが阿弥陀如来という仏であると、
お釈迦さまは説かれています。


 ところが、多くの人は 自分は いま、 悩み苦しみもなく、
問題は無いので救われる必要などはないと
 思いながら、
その教えに気づかずに、生活しています。


 私たちの悩み苦しみの大きな原因となるものに、病気がありますが、
若く健康なときには、まったく関係なく、発熱したり、
痛みが出た時に はじめて 頼りにするのが 病院であり
お医者さんでしょう。
しかし、回復すると もう 忘れています。

 ところで、近年は 健康なうちから生活習慣に気を配り
病気の発症を防ぎ、
 一人ひとりが自分らしく、生きることに
つながるようにする、
 「予防医学」が、重要視されてきています。

 病気になってから、急いで治療を施し、 寿命を延ばすことが
目的だった医療から、病気を 未然に防ぎ、心身ともに
病気になりにくい
 体づくりをする医学へと、
方向が変わってきているようです。


 医学と同じく仏教も、老病死の問題の解決を目的としています。
若く元気で、問題が少ない間は、まったく関係の無いものと
思われがちですが、人間
 誰もが 間違いなく年を取り、病気をして、
命を終えていかねばなりません。


突然、大切な人や、自分が、その老病死に出会った時、
慌てず悩まずに どのように対応すればよいのか。
老病死の問題が起こってからの、 対応では遅く、
病気になる前から、老いを迎えるまえから、どう受け入れ
対応すればいいのかを、お釈迦さまは説いて
いただいたのだろうと思います。


 私たちが持っている現代の価値観では、若く 元気で
あることが
 良いことで、年を取り病になることは 
悪いこととの認識でいます。

この考え方では、刻々と、悪い方へ悪い方へと 向かっていき
最悪の状態で一生を終わることになります。

 そうではなく、順調に年を重ね、順調に病気に出あい、
順調に、この一生を終わっていく、そう受け入ることの
出来る価値観をもてれば、不安も、心配も 
恐れることもありません。


 救うというのは、いかなる状態でも、それを受け入れ、
対応する能力を開発することを仏教では説かれており、
先輩達は、それを、ちゃんと伝え残していただいているのです。

 やがて必ず来る老病死に、気づかずのんびりと生きて居る
この私に
 例え 老いても、病気になっても、この人生が
終わっても大丈夫、人間らしく堂々と生きていく道が
あることを、常に、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼びかけて
知らせて
 ただいているのだと、味わいます。

 心配いらない やれることをやりなさい 後は
まかせておきなさい。一番良い方向へと進んでいきますよと。
老病死を受け入れていく力を 若いときから身に付けておけば、
大丈夫、大丈夫 そう教えて
 いただいているのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、何が起ころうと 思い通りに
なろうと成るまいと、順調順調 予定どおり 何の心配も要らないと

呼びかけ、教えていただいている、それを受け入れていく、
力を、身に付けることを、説き教えていただいているのです。

          


           私も一言(伝言板)