第1683回 よいいっしょ 良い一生

 令和7年 5月1日~

「よいしょ よいしょ」と かけ声をかけて 立ち上がる方があります。
腰や足が痛んで、なかなか体を動かすことができにくく、かけ声と
いっしょに、体を起こしている方が、身近には沢山いらっしゃいます。

「なさけないですね。声でも出さないと、動けません」と、
ちょっと照れながら、悲しそうな表情をなさる方もあります。

「よいしょではなく よいいっしょ、よいいっしょではないですか」と
言いますと、なかなか意味が通じないようです。
「よいいっしょ、良い一生、良い人生 だったではありませんか。
  足や腰が痛くなるまでも長生きさせてもらって、本当に
  良い一生、素晴らしい一生だったと思いますね。」と 言うと。

「そんなことはありませんよ。本当に、辛いこと、苦しいこと、
 悲しいことばかりでした。長生きすると、良いことは 何
 一つもありませんよ、辛い、いやなことばかりでした」と、嘆き、
 反発される方もあります。

 中には、そうですね。言われてみれば、本当に有り難く
もっともっと喜んで、良いことばかりですよね。と、素直にうなづいて
今日まで、こうして生かされていたことは、本当に素晴らしい人生 
良い一生であったといっても、いいのでしょうねと。」
言われる方もあります。

 月忌参りなどで、一緒にお勤めをし、
阿弥陀さまのお話を聞いていただいた方は、
「そうでした そうでした、ほんとうに有り難いことでした、
 いろいろなことがあったものの、皆さんのお陰で、多くの
 方々のお陰で今日まで、生かされたのですね。
 すばらしい一生でした」と。 喜んで下さる方が多いものです。

 どうせ、かけ声をかけるのならば、
よいっしょ、よいしょではなく、よいいっしょう 良い一生、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、声に出させてもらうことで、
当たり前で 平凡な、つまらない人生だと思っていたのに、
なんと有り難く、もったいなく、もっと喜ばせて
いただいてもいい、有り難い 尊い人生であったと
味わっていきたいものです。

 よいしょではなく、良い一生、良い一生、有り難い
素晴らしい一生だったと、声に出す度に
この人生を、こころから喜ばせて
いただきたいものです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 

          


           私も一言(伝言板)